笑いの力―他者に対する究極のアンガーマネジメント

人間関係・自己啓発

笑いの免疫力

最近さぁ、思うんだ。普通に喋ってるだけなのに、「面白~い!」なんて誉められるんだけど、関西人的には、極めて日常的な話しかしてないんだけどなぁって。まあ、確かに郷土文化的には、ツッコミ入れるよ?でもさ、それなりに関西の文化に馴染んできた人間なら、誰もが身に付けるスキルだし、別段、ウケ狙いで話すわけでもない。古くからの友達との普通のやり取りを見て、笑われても…ねぇ?

話してる当人たちは、特に笑わないわけですよ。もちろん、楽しく、笑いを交えて話すときもある。でも、そんなときばかりじゃない。普通に会話をする時もある。そんな普通の会話を聞いて、笑う人がいる。これまで幾度となく、そんな人たちに出会ってきた。

そんな経験を重ねてきて、ふと思ったの。ひょっとしたら、笑いに対する免疫力が高いんじゃないかって。確かに、漫才、落語、新喜劇と、日常生活に、笑いの文化が溢れている。「土曜日のお昼と言えば?」と訊かれると、「新喜劇!」って答える人が、参議院選挙の投票者数を上回るんじゃないかってくらい。ちょっと大袈裟かもしんないけど。

もちろん、関西人皆が皆お笑いに馴染んでるわけじゃない。笑いのプロからすれば「しょうもない」なんて言われるだろうけど、やっぱり笑いに免疫力があるんじゃないかって。そう思えることがあったんですよ。

どちらかと言えば、個人的には色んなことに反応するタイプでして。奈良で鹿に閉じ込められた時も、文鳥につつかれたり添い寝されたり寝起きの顔面にとまられた時も、狸に行く手を阻まれた時も、そら笑てまいますて。電車の車内アナウンスの車掌さんの声がおかしくて笑うこともあれば、お坊さんがビッグスクーターで爆走してるのを目の当たりにして笑うこともある。ま、さすがに鳩の滑稽な歩き方を見ても笑うことはありませんけどね。

(※注. 上記に関する諸々の経緯は「ゆる~い系」の記事をご参照下さい)

究極のアンガーマネジメントを見つけた話―怒りをコントロールする方法

2019年10月23日

要するに、笑いに敏感なんです。でも、個人的に「面白い!」と思われる場面に遭遇しても、「周りの人ら、全然笑てへんやん」てなことがしょっちゅうあるわけで。そんなもんやから、きっと周りの関西人は日常生活から笑いに慣れてるし、多少の事があっても動じないんじゃないかと。それを、「笑いに対する免疫力」と言いましたが、実際のところはようわかりません。まあ、この件に関しましては、独断と偏見に満ち溢れているので、あまりお気になさらずに。

 


他者に対する究極のアンガーマネジメント

ある車内にて

まあホント、電車の中にゃ、色んな人間がいるものだと痛感させられます。この記事を書いている正にこの瞬間にも、隣の40代半ばと思しきスーツ姿の男が、右足でリズム刻んでんのよ。爪先上げて。貧乏揺すりっぽくするなら、踵を上げて地面に打ち鳴らすってのはよくあるけど、爪先て…。不快なリズムが、車内の床を通じてこちらの左足に伝わってくるので、極めて迷惑なのは変わりないんですが。なんて書いてる間に、両足で刻み始めたよ…。

でもね、イライラなんかの負の感情をコントロールする術を身につけたんで、もうあまり気にならなくなりました(「究極のアンガーマネジメント」の記事を参照)。昔は違ったなぁ。血の気が多かったんでしょうね。そんな昔でも、イライラが吹っ飛んだことがありましてね。大阪に行くことがありまして、大阪の環状線に乗った時の話です。

当時は、今よりも更に文学青年で、大学院で哲学の研究をしてたんです。まあ、研究なんて言っても、原語で哲学書を読むだけですが。イギリスの経験論や論理哲学、カントやニーチェなどのドイツの哲学を学んでおりました。語学が苦手なものですから、1日の内、食事と睡眠と世界の安寧のために祈りを捧げる(tetsuはいかなる宗教とも関係ありません。ただの平和的博愛主義者なだけです)以外は、ずっと哲学的と向き合ってました。大学内の図書館の地下には、独房と呼ばれる場所がありまして、個別に研究室が使える仕様になってます。週に8日くらいは1日28時間くらい独房に籠もってました。とは言え、企業戦士と言われた、昔のジャパニーズビジネスマンに比べるとまだまだ努力不足感は否めませんが。

そのくらい哲学漬けになってたものですから、当然、電車内でも、座席を確保できれば、ずっと英文や独文と睨めっこ。ネイティブの方々が読んでも難解なものを、日本人が読もうってんだから、正気じゃないよね。その結果が、「変わり者」なんて、あらぬ烙印押されるんだから、悲しいもんさ。あの日は環状線に揺られながら、確か、珍しくトーマス・クーンを読んでたかなぁ。読んでは、頭の中で整理し、思考に身を委ねる。当時のルーティンだ。

そこで、目の前の座席に1人の大柄な男性が座る。比較的涼しげな初夏であるにもかかわらず、薄手の半袖のシャツに、半ズボン。それも、小学生がはいてるような、本気の半ズボン。右手で団扇をせわしなくバタつかせ、頻りにメガネをあげる仕草をする。表情は、いかにも暑苦しそうだ。時々、「あ゛~」と文字にし辛い声を発する。関西弁で言うと、所謂「パンチの効いたおっさん」ということになる。そのパンチの効き具合ときたら…。

まあ、ここまではいい。声を発せられながらも、哲学書を読むことはできる(耳栓代わりにイヤホンしてたので)。ただ、この後があまりよろしくない。このパンチさん、何と激しく貧乏揺すりをしだしたのだ。それも、両足で。見たことあるよ、その動き。確か、ソロでリズムを激しく刻むドラマーの足の動きだ!バスドラ、それもツーバスで激しく叩くあの感じ!

さすがにこれには参った。見た目は大方本で隠せるし、声もイヤホンつけてたら、そこまで気にもならない。でも、足だけは無理だ。本の下の隙間から、パンチさんの足が激しく揺さぶられているのが見える。というか、視界に入る。本気の半ズボンに大腿部を包まれた両足が。本体(?)は、と言えば、汗だくになりながら、虫の居所が悪いのか、ずっと舌打ちを繰り返してる。そして、チラッチラチラッチラと視界を揺さぶる貧乏揺すり。

そのゴツいイライラと揺れる足(とその振動)にかき乱される集中力…。いやいや!舌打ちたくなるんはこっちの方でっせ!と心の中で叫んでみても、こちらの気持ちが伝わることもなく。自転車のタイヤの空気入れのように、どんどんイライラが注入されていく感じ。パンチさんの隣に座ってたサラリーマンらしき男性も、白い目で見ては、首傾げるようにして、不快感を表してたもの。

さすがに一言物申そうと決心するほどまでに、イライラが臨界点に達する。その矢先、突然、両足の揺れが止まる。ああ、ついに周りの人間に対する思いやりの心が芽生えたのかな、と思い、イラつきながらも、本から目を逸らし、顔を見る。すると、その顔が苦痛に歪んでいる。どうしたのか?よくよく見てみると、パンチさん、右足脹ら脛を痛そうに押さえてる。

え?足、つってますやん。

いや、もうね、何て言うか、その、必死ですわ。笑い堪えるのに。人が苦しんでるのにさ、笑うなんて失礼ですよ。でもね、あまりのギャップに、そのおかしさに、堪えてた感情が噴き出るみたいにさ、笑いの波が押し寄せて来るわけよ。あん時ほど、別の意味で本持ってて良かったって思った瞬間はなかったね。周りから、注視されてたら、バレてたろうね。笑い堪えてるの。だって、本で顔を覆うように隠してさ、小刻みに肩が震えてるもの。ちょっと笑いの吐息が口から漏れてたし。少し前までは、想像だにしてなかったね。まさか、イライラを堪えてた力で、笑いを抑えようとすることになるなんて。

でも、何より驚いたのは、こんなシュールな場面に出くわして、周りの人間誰一人として笑ってないのよ。え?貧乏揺すりし過ぎて足つってるんですよ?バナナの皮踏んづけて滑って転ぶのを目の当たりにする以上に、何か込み上げて来ません?その時、思ったわけですよ。ああ、やっぱり大阪の人って、笑いに強いんだ、と。当の僕はというと、我慢できずに、次の駅で降車しました。だって、ずっと乗ってたら、我慢できずに吹き出してた自信あるもん。

 

笑いの力

究極のアンガーマネジメントについては、前に書いたことがある。それは、実にシンプルなものだった。誰かに意地悪されたり、迷惑をかけられて、込み上げてくる怒りやストレスは、誰かに親切にすれば、氷解していくというもの。当時の僕にとっては、新鮮な発見だった。でも、この時は思ったわけ。使い古された言い回しかもしれないけど、やっぱり笑いの力って偉大だな、と。

誰かが怒ってて、緊張した空気の中でも、笑いが起こると、弛緩した雰囲気が漂う。もうそうなったら、お終い。どれほど緊張した雰囲気を取り返そうとも、もう戻れない。一度、弛緩した空気になると、緩みっぱなし。だから、その場が張り詰めた感じになったり、空気が悪くなったりしたら、怒ってる人を笑わせるってのは、他者に対する究極のアンガーマネジメントになるかもしれません。

とは言うものの、何事にもTPO(時と場所と場合)ってもんがある。その場に相応しい振る舞いをしないと、芳しい結果になるとは限らない。雰囲気を良くするために、相手を笑わせようとしても、笑いが起きなければ、「ふざけるな!」って、火に油を注ぐことになりかねない。だから、笑いを起こそうとする時は、相手と機会に気を付けてね。

 

 

by    tetsu