最近の若い者は…「ジェネハラ」という世界最古のハラスメントについて考えてみた

古代エジプトの壁画には「最近の若者はけしからん。わしが若いころには…」という文章があったそうな。また、古代ギリシャの哲学者プラトンも「最近の若者は目上の者を敬いもせず…」と嘆いていたそうです。人類で初めて製鉄技術を獲得し、隆盛を極めたヒッタイト王国(紀元前1680年~)の粘土板にも「最近の若者はなってない」と書かれていました。ちなみに、その粘土板はトルコにあるアナトリア博物館に所蔵されています。もちろん、日本も例外ではありません。枕草子を書いた清少納言も次のような言葉を記しています。「最近の若者は、あまりに言葉が乱れており嘆かわしい。」とね。

これらの例は、「最近の若者は…」を代表とする「ジェネハラ(ジェネレーションハラスメント)」が時代・場所問わずに存在することを指し示しています。おそらく、人類が文字を発明する前から、言われてきたことなのでしょう。そう考えると、「ジェネハラ」は世界最古のハラスメントと考えて間違いないありません。

ジェネハラの実体験

僕はゆとり世代です。そのため、くたびれたスーツを着た年長者から酒の席で唐突に「ゆとり世代は根性がない、わしが若いころは…」という説教(ジェネレーションハラスメント)をされたこともあります。言われたことはぼんやりとしか覚えていなませんが、確かこんなことを言われました。

君はゆとり世代だろう?君たちは苦労をしたことがない。だから、根性がないんだ。わしが若い時は…とね。

その時僕は思いました。あんたは僕の何を知っているのか?世代という曖昧なものでレッテルを張るなと。でもまぁ、そんなこと言えるわけもなく、「本当にそうですよね!今の日本を形作ったあなた方の世代は本当にたくましいです。それと比べて今の若者はダメですね。僕もそうならないようにしっかりしないと…」とテキトーに持ち上げたら、とても喜んでいました。

たぶん、自己承認欲求に飢えていたのでしょうね…見てみてなんだか悲しくなりましたが...

ジェネハラの定義

まず、ジェネレーションハラスメント(ジェネハラ)の詳しい定義について考えてみましょう。そもそも、ジェネハラは誰から誰に行使されるのでしょうか?

基本的にハラスメントは力のある者から、力のない者にされるものです。そう考えると、「最近の若者はなっとらん」に代表されるように、金・地位・名声を得ている年配者から若者へのジェネレーションハラスメントが圧倒的多数を占めると想定されます。実際、「最近の年寄りは…」のようなお年寄りに対する文句は過去の文献を調べても見つけることが出来ませんでした。もちろん、あるにはあったんだろうけどね。

つまり、ジェネハラは「年長者から若者に行使されるもの」と考えられます。そして、その内容は若者に対する示威行為と考えられます。

それは具体例を考えてみると、非常に分かりやすいです。「最近の若者はこんなこともできんのか?」や「わしの若いころはこんなこと出来て当然のことだ」や「最近のゆとり世代は我慢強くない」とかね。この例からも分かるように、現在の若者との比較対象は若かりし頃の(美化された)自分です。

そのため、ジェネハラの定義は、「過去の(美化された)自分と現在の若者を比較し、その優越性を示す行為」と言えるわけですね。人間というものは自分に都合の良い記憶以外忘れちゃう生き物ですからね。

ジェネハラとレッテル貼り

ジェネハラと切っても切り離せない関係にあるのが、レッテル貼りです。「最近のゆとりは…」と題した若者貶しの記事なんて山ほどありますしね。人は複雑なものを見ると、レッテルを貼ることによって区別をしたがります。その証拠に、総ての世代に名前が付けられています。

時代順に並べるとこんな感じになります。団塊の世代・しらけ世代・ポスト団塊世代・断層の世代・新人類世代・バブル世代・団塊ジュニア世代・ポスト団塊ジュニア世代ミニマムライフ世代・ゆとり世代。

でも確かに、世代に対するレッテル貼りには一定の効果があります。なぜなら、同じ政治・経済・教育状況で育ってきたからです。

例えば、ゆとり世代は他の世代と比較して大きな政治的変化を経験していません。あるとすれば、民主党政権の失政ぐらいでしょうか?多感な時期にそれを経験したためか、若者の自民党に対する支持率は比較的高い傾向にあります。もちろん、それだけが理由ではないんだろうけどね。

経済状況で言えば、0成長といったところでしょうか?そのため、経済成長によって自分たちが豊かになるという実感を得ていません。それは、高度経済成長期やバブル期を目の当たりにしてきた世代との大きな違いと言えるでしょう。若者が仕事よりもプライベートを優先する背景もそこにあると考えます。一生懸命働いたって、日本の経済状況が良くなる気もしないし、自分自身が豊かになれる気もしませんし。

教育状況でいえば、ゆとり教育ですね。詰め込み型の知識教育から思考力を高める教育へのシフトを目指しました。目指す方向は正しかったんだけどね。それを実行する素地に欠けていました。それでも、義務教育時間の減少は、世代内の多様性を広げました。ある子供はその浮いた時間でスポーツをしました。またある子供は浮いた時間で勉強をしました。またある子供はパソコンに明け暮れました。このように、一人一人が好きなことを出来るようになりました。

このように、同じ政治・経済・教育状況を経験してきた世代の思考・行動特性に一定の方向性が見いだされることは間違いないでしょう。

ジェネハラ加害者の無責任さ

「最近の若い者はけしからん」、「これだからゆとり世代は…」というのももちろんレッテル貼りに該当します。先ほどは、世代に対するレッテル貼りについて説明しました。ここで、一つの問題が浮かびます。

それは「ゆとり世代を作ったのは誰か?」という問題です。ゆとり世代を取り巻く環境を形作ったのはゆとり世代ではありません。もちろん、バブル世代を形作ったのもバブル世代ではありません。じゃあ、だれが作ったのでしょうか?それは、その世代の人より前の世代以外ありえません。

そう考えると、あまりにも理不尽ではないでしょうか?ゆとり世代以前の世代が作った環境で育ったゆとり世代がなぜ責められなければいけないのでしょうか?もちろん、個人に対するお叱りの言葉なら、甘んじて受け入れますけどね。世代に対する批判なら筋違いもいいところです。

以前、非行に走る子供たちの親は自分自身に大きな責任感を抱いているという話を耳にしました。確かに、子供たちが問題行動を起こすと、世の中の人々は「親は何をしているんだ?」という責任追及の声を上げますからね。しかし、世代の話になるとみんな知らない顔をします。なぜ、ゆとり世代を作り上げた前世代の人々は責任を追及されないのでしょうか?不思議ですよね…

つまり、ゆとり世代を否定することは、自らを否定することと同義と言えるのではないでしょうか。

ジェネハラをしない年長者の特徴

ジェネハラをしない年長者は若者から尊敬されています。そりゃ、若者に尊敬されていれば、自分の優越性を示す必要がないからね。経験に裏打ちされた知識量・思考力には到底かなわないし。実際に体験したことと座学で学んだことの間には大きな差がありますからね。デキる年長者と話せば、自分の考えがいかに浅いかということを思い知らされます。そして、話しているだけでとても勉強になります。そのような凄さがあるからこそ、年長者は若者に尊敬されます。

つまり、若者に尊敬される年長者は、表面上の年齢だけでなく、長年培った経験・能力・考え方を有しているわけです。そりゃ、ただ年を食っただけの人間が尊敬されるはずありませんもんね。当たり前のことですが…

まとめ

世の中には、本当に尊敬するべき年長者が沢山いらっしゃいます。しかし、ごく一部にはジェネハラおじさん・ジェネハラおばさんが存在します。というわけで今回は、そういった人たちが行うジェネハラとは何か?について説明しました。

  • ジェネハラの定義は?
    過去の(美化された)自分と現在の若者を比較し、その優越性を示す行為のこと。
  • ジェネハラの被害者に責任はあるのか?
    場合によって異なります。例えば、個人の失敗に原因があったうえで、最近の若者は…という流れであれば、ある程度の責任は免れないでしょう。それでも、言い方には問題があると思いますがね。一方で、急に最近の若者は…という流れであれば、流石に責任はありません。それは、ただの憂さ晴らしです。
  • ジェネハラをしない年長者の特徴は?
    若者から尊敬されている年長者はジェネハラをしません。そりゃ、優越性を示すまでもなく尊敬されているわけですからね。