実は続きがある?「百聞は一見に如かず」の本当の意味について徹底解説

上司が部下に、先輩が後輩によく言う言葉として、「百聞は一見に如かず」があります。

その意味は、「人から何度も話を聞くよりも、一度自分の目で確かめたほうがよくわかる」です。

この言葉の由来は、【漢書】という中国の歴史書にあります。三國志の一つ前の時代に書かれました。

そんな「百聞は一見に如かず」には、続きがあるのです。

そこで、今回は「「百聞は一見に如かず」に続く言葉から本当に意味について解説します。

百聞は一見に如かずの続きとは?

漢書には、百聞は一見に如かずの続きに次の言葉が書かれています。

基本的な文章構造は、マトリョーシカのようになっています。

「AよりBが優れる。BよりCが優れる。」が延々と続く感じです。

百聞不如一見(百聞は一見に如かず)
人から何度も話を聞くことは、一度自分の目で確かめたことに及ばない

百見不如一考(百見は一考に如かず)
何度も自分の目で確かめることは、一度考えることに及ばない

百考不如一行(百考は一行に如かず)
何度も考えることは、一度の行動に及ばない

百行不如一効(百行は一効に如かず)
沢山の行動は、一つの成果に及ばない

百効不如一幸(百行は一幸に如かず)
沢山の成果は、1つの幸せに及ばない

百幸不如一皇(百幸は一皇に如かず)
沢山の幸せも、1つの王には及ばない

このように、百聞は一見に如かずの続きには5つの文があったのです。

次は、それぞれの意味について深く考えていきましょう。

百聞は一見に如かずの本当の意味

仕事における心構え

まずは、前半の4行について解説します。

前半の4行

百聞不如一見(百聞は一見に如かず)
人から何度も話を聞くことは、一度自分の目で確かめたことに及ばない

百見不如一考(百見は一考に如かず)
何度も自分の目で確かめることは、一度考えることに及ばない

百考不如一行(百考は一行に如かず)
何度も考えることは、一度の行動に及ばない

百行不如一効(百行は一効に如かず)
沢山の行動は、一つの成果に及ばない

聞くだけでなく、自分の目で確かめる。目で確認するだけなく、自分で考える。考えるだけでなく、実際の行動に移すことの大切さを伝えています。

そして、それらの行動のほんの一部が成果として実ると解釈できます。

つまり、聞いて、見て、考えて、やってみて、その一部が成果として実るわけですね。

聞くだけで、現物を確認しなかったり、考えるだけで、行動しないことは良くあります。

皆さんも「百聞は一見に如かず」の続きを意識して仕事をしてみては如何でしょうか?

王朝の礼賛

後半の2行は、政治の重要性を伝えていると考えられます。

後半の2行

百効不如一幸(百行は一幸に如かず)
沢山の成果は、1つの幸せに及ばない

百幸不如一皇(百幸は一皇に如かず)
沢山の幸せも、1つの王には及ばない

一行目は多くの方が納得する内容だと思います。確かに、どれだけ成果を上げても、幸せを感じられないければ悲しいですし、幸せさえ感じていれば、成果もあまり気にならなくなります。

次の行に関しては、現代の価値観だとその解釈が難しいです。

この文章の元である「漢書」は、漢王朝の時代に書かれたものです。当時の王朝は絶対的な存在でした。そのため、沢山の幸せさえも1人の王の貴重さには劣ると説いたのでしょう。

要は、王朝の素晴らしさを説くための文章であったと予想できます。「漢書」は当時編纂された歴史書なので、王朝を礼賛するのは当然のことだと考えます。

百聞は一見に如かずの続きとは?のまとめ

どんな続きがあるの?

「百聞は一見に如かず」の続きには次のような文章(日本語訳)があります。

 

百聞は一見に如かずの続き全文

人から何度も話を聞くことは、一度自分の目で確かめたことに及ばない

何度も自分の目で確かめることは、一度考えることに及ばない

何度も考えることは、一度の行動に及ばない

沢山の行動は、一つの成果に及ばない

沢山の成果は、1つの幸せに及ばない

沢山の幸せも、1つの王には及ばない

どんな意味があるの?

これらの文章には、二つの意味があります。

一つは「仕事の心構え」です。

この心構えを意識するだけで、いつもより仕事がうまく回りやすくなります。

もう一つは「王朝の礼賛」です。

 

この文は漢王朝の歴史書「漢書」に記されています。ですから、王朝礼賛の意味も含まれているのです。