分析という言葉はよく耳にする、とても重要な言葉です。それは学問のみならず、ビジネスシーンやスポーツ分野においても用いられる考え方ですね。しかし、気を付けなければ思わぬ落とし穴にハマることも。そうならないためにも、きちんと意味をおさえておきましょう。
目次
分析と総合の違いについて
分析と総合は、いわゆる対義語です。ですから、是非とも、セットで覚えておきましょう。
分析な考え方とは何か
分析の意味
分析とは、本当によく聞く言葉です。「分」とは、「分ける」こと。「析」とは、「バラバラに切り離す」こと。従って、分析とは、 物事をそれぞれの要素に分けてバラバラに切り離し、その構造を捉える方法となります。
この構造とは、因果関係や相関関係など、 ある物事と物事との間にみてとられる関係性のことです。
分析の事例
物作りのビジネスにおける市場を分析するとします。すると、いくつもの市場があることがわかります。例えば、原材料市場、労働市場、製品市場、金融市場などです。
原材料がなければ物は作れません。物を作る人(労働者)がいなくても、物作りはできませんね。お金の流れがなくても物作りはできませんし、作った物を売るところがなければ、ビジネスにはなりません。つまり、こうした様々な市場があってはじめて、物作りのビジネスが可能となるわけです。
上記の例は、概念的で抽象的ですが、単純に物の構造なんかについても言えます。例えば、自動車を構造的に分析するとしたら、どのようにとらえられるでしょうか?車にはエンジンがありますね?ドアもあるし、屋根も(だいたい)あるし、ブレーキやアクセルもあるし…
というようにそれぞれのパーツ(要素)に分けてバラバラに切り離してとらえることができますね?こうしたとらえ方が、分析と呼ばれるのです。
総合的な考え方とは何か
総合の意味
総合とは、分析の反対の意味を持ちます。「総」とは「全体」を、「合」は「合わせる」ことを意味します。つまり、 バラバラにある要素を、1つの全体として合わせて、まとめるということです。
総合の事例
総合とは、分析の反対ですから、各要素をまとめて、1つの全体をなすことになります。車の例でしたら、各パーツを組み合わせていき、1台の車を組み上げることになるでしょう。
しかし、事はそう単純ではありません。 総合とは、有意味な全体を組み上げることですが、その「形」は想定される元の形と同じでなくても構わないのです。例えば、各パーツを組み上げた結果が、元の車の形でなくてもいいということです。
パーツの組み合わせ方も様々な可能性が考えられるでしょう。車の機能を前提とした組み上げ方は限定されるでしょうが、その意味を考慮しなければ、可能性は広がります。場合によっては、前衛芸術のようなオブジェができるかもしれません。
言葉の意味としては、総合と分析は相対するものですが、現実的な行為としては、必ずしも、反対のものになるとは限らないのです。
分析と総合の違い
分析と総合の違いは、一言で言えば、意識の向かう方向性です。分析は、対象の中へ中へと入っていきます。 細かい部分がどのような構造になっているのかを明らかにするためですね。
ビジネスシーンやスポーツで戦略的に用いられる場合には、「①細かい要素に分ける→②各要素がどういう原因でどういう結果になるのかを考える」というように、道筋を明らかにしようとします。
例えば、A社の製品が売れてるとしたら、その原因はどこにあるのかを考える場合、製品の質や価格、マーケティング方法、ブランディングなど、様々な要素をあげていきます。その上で、これらが市場に対して、どのように有効に機能しているのかを考えます。
どこの社の製品よりも価格が安く、品質が良いから、結果として一番売れているということもあるでしょう。また、ブランディングに成功しているため、「この製品と言えばA社」という意識付けがなされているから、結果として一番売れているということもあるかもしれません。
スポーツにおいてもそうです。野球で、あるピッチャーの行動仕草を細かい要素に分けて観察したところ、「カーブを投げるときにボールの縫い目を目で軽く確認するクセがある」と気付いたら、ボールの縫い目を視認したらカーブを狙い打つことで、そのピッチャーを攻略しやすくなります。
このように、分析とは細かい部分へと、つまり、対象の内側へと意識を向かわせ、戦略的に優位に立ったり、有利に事を運ぼうとするために用いられる方法です。
かたや、総合は対象の外側へと意識を向かわせる行為です。そして、対象を1つの要素としてとらえ、全体の中でどのような機能を持つものなのかを規定するのです。
先の例で解説しましょう。A社の製品が売れているとしたら、そのことを1つの原因として、あるいは要素としてとらえ、筋道を立てて考えます。
「A社の製品が売れている」ということを前提に、それに付随する製品を売り出すというのも1つの考え方です。例えば、そのA社の製品がパソコンだとするなら、マウスを売るなどですね。
いわば、ある製品を売っているA社を、別のビジネスの一部(要素)としてとらえて、それを含む全体を組み上げるということです。
ピッチャーの例ではどうでしょう。これはピッチャーを総合するとは言いません。ピッチャーを含む戦力を総合させて考えるということになります。
総合して考えた場合、とてつもなくスゴいピッチャーを無理して攻略する必要がないかもしれません。選手層が薄く、総合的戦力が高くないと判断できるのであれば、そのピッチャーのスタミナを徹底的に奪うような作戦を実行することも考えられますね。
このように、 意識を対象の内側に向けるか外側に向けるかが、分析と総合の最も重要な違いと言えます。
分析的な考え方の思わぬ落とし穴
さて、分析というのはとても便利な考え方ですが、思わぬ落とし穴があります。特に、優秀な人ほどハマりやすい落とし穴です。それは、 与えられた対象を絶対的と思い込んでしまうこと。
意識は内側に向かうわけですから、その対象の外側は見えなくなります。そして、分析が可能な人は、どんどんと分析を進めます。そこには楽しさもあるでしょうし、有益な結論に結びつくので、成功体験が積み上げられることになります。
すると、何か問題解決を図ろうとすると、意識が端っから対象の内側に向けられることになるのです。いわば、「木を見て森を見ず」という状態ですね。
これは、問題解決の姿勢としては、あまり好ましくありません。そこには2つの理由があります。
1つめの理由が、 行き詰まる可能性があるということ。分析的思考により、問題が解決できれば、それに越したことはありません。しかし、そもそも、その問題が無理難題の可能性もあるでしょう。そんな時は、当の対象にこだわっていても時間のムダです。
例えば、自動車市場に参入するとします。ですが、既に大手企業によって市場は占められていますよね。そんなところに新規で参入するなんて、勝ち目のない戦を仕掛けるようなものです。
そんな勝ち目の薄い市場を、相手企業を分析して、事を進めるより、もっと参入しやすく、勝ち目のある市場で勝負した方がいいですよね。
分析的思考に優れた人ほど、「何とかしよう」とするものです。ですが、何ともならないところに多大な労力を費やすことは決して、賢明な判断とは言えませんね。対象以外にもアプローチをかけられるものがあることが多いです。そういう意味で対象の外側に目を向けることも重要なんです。
2つめの理由が、 目的を見失うということです。意識を対象に向け続けると、それが全てになります。そして、本来、なすべき目的を見失うのです。例えば、上述したピッチャーの例を考えてみましょう。野球の試合をする場合、多くのチームは勝利を目指します。
そのために相手ピッチャーを打ち崩す戦略を考えます。動作を、仕草を分析し、戦略に組み込んでいきます。それでも、うまくいかないこともあるでしょう。
「どうすれば打ち崩せるか…どうすれば打ち崩せるか………」
そんなことを考えていく内に、「試合に勝利すること」という本来の目的がすり替わって、「ピッチャーを打ち崩すこと」になるのです。ですが、勝つためになすべきことはそれだけとは限りません。勝つためだけなら、そんなスゴいピッチャーとまともに勝負する必要もないのです。
目を向ける対象にこだわりすぎて、分析すること自体が目的になってしまうということは、よくあります。そうなると、分析的思考が、そもそもの目的達成のための合理的手段とならなくなる可能性さえあります。こういった落とし穴が、分析的思考にはあるのです。
分析と総合の重要性
分析的思考や総合的思考は、とても重要です。しかし、その重要性は、それらが揃って初めて言えることなのです。どちらが欠けていてもいけません。むしろ、片輪をなくした車のように、事故を起こしかねない危険な進み方をするのです。
分析に偏ってしまえば、全体が見えないので、袋小路に閉じ込められるような危うさがあります。総合に偏ってしまえば、事の詳細を詰めることなく進むので、悪い意味でいい加減な仕上がりになることになります。それはほつれのある衣服みたいなもの。そこから、全体は崩れていきかねません。
何らかの問題解決のためには、分析と総合はとても重要です。しかし、今述べたように、バランスよく行うならば、まずは、 大きな目的を持つことです。
そして、それを1つの全体的なまとまりとするのです。野球であれば、「試合に勝つこと」、ビジネスであれば、「利益をあげること」といったように。
そうして、そのためにはどういった要素があって、 それぞれの要素をどのように組み上げていけば、全体が仕上がる(=目的を達成できる)だろうか?と考えながら、分析していくことです。
そして、 行き詰まった時には、その全体(=目的)を変更することも、場合によっては必要となるでしょう。
勝てないとわかれば、「次の試合につなげられるように、相手の分析をするための試合と割り切る」とか、「実験的に何かを試すように、選手を起用する」といったことも重要です。将来的に備えられるような有益な情報をもたらしてくれる可能性がありますからね。
そうした時には、「大きな目的が何であったか?」とか「他にもより大きな視点でとらえられることはなかったか?」といったことを確認するよう意識してみましょう。全体を見て、細部をつめていく。そして、うまくいきそうになければ、他のとらえ方を試してみる。
こうして、問題解決を図るよう心掛けて下さい。「木を見て森を見ず」ということは好ましくありませんが、「森を見て木を見ず」ということも、同じくらい好ましくないのです。
by tetsu
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