祖父と桜と空の「穴」―存在するということの意味

エッセイ

桜の木

 

桜花ちりぬる風のなごりには

水なき空に波ぞたちける

(紀貫之)

 

桜の季節を想う。今は亡き桜の季節を。

いつだってそこにあった。そして、これからもあり続けるだろう。そう思っていた。けれども、そうじゃなかった。いつも突然訪れるものだ。別れの時というものは。

いつまでもあり続けるだろうという幻想に裏切られて、初めて知らされるそのものの尊さに、どうして僕は気づけずにいたのだろう?

常にそうありたいという望みが、そうあってほしいという願いが、僕の視界を曇らせる。ロールズの織った無知のヴェールが周りの風景を覆い隠す。僕は瞳を閉じた幼子のように不確かな安寧を貪る。瞼を開くと、そこに変わらぬ風景が現前することを疑うことなく。

 

その桜の木は小高い丘にある家の庭に立っていた。いつからなのかはわからない。だけど、その大きな枝振りからすると、僕が生まれる遙か以前からこの世に生を受けたのだと思う。春の盛りを彩っては、雨風に散っていく。アスファルトに貼り付けられたら花びらは、九相図のように生々しく朽ちていく。夏は青々しく葉を繁らせていた木も、冬になれば骨相を露わにする。それでも、春には見事に咲き誇る。そうして歳月を経る度に、桜の木は生滅を繰り返していった。

だからこそ思いもしなかったんだ。その桜の木が終わりを迎えることを。

 

その夜、大型の台風が珍しく僕たちの住む町を直撃した。吹きさらしの家は軽い地震の時みたく、ガタガタと音を立てて揺れた。ほんの数時間のことだったけど、自然の脅威を覚えるには十分だった。あの時感じた不安と無力感は、今でも心の片隅で燻ぶり続けている。そして、これからもそれが消えることはないだろう。

夜が明けると、町の様相は一変していた。信号機は止まり、標識はてんでバラバラの方向を向いていた。道路脇の雑木林の木々は薙ぎ倒されていて、どこから飛んできたのか、看板が無残な姿で道に転がっていた。地面には無数の落ち葉が風雨によって貼り付けられている。この町で数十年間暮らしてきたが、これ程の惨状は記憶になかった。

数日後、異変に気付く。駅へと向かいながら例の家の脇にある坂道を下っていた時、普段よりも視界がひらけている。広がる空。

 

…ああ、桜の木がなくなってるんだ。

 

最初はそんな程度だった。

思えば、小さい頃からずっと桜の木を見上げてきた。祖父に手を引かれ通った保育園までの通り道。初めて子どもたちだけで通った小学校の通学路としても使い、大人になった今でも駅に向かうたびにそこを通っている。

柔らかい日差しの中で優しくさざめく花々が、時には月光に照らされて浮かび上がるその妖艶なる怪しさに魅せられたことを、今でも覚えている。花散らしの雨の中、短命に終える季節を恨めしく思い、気候に恵まれて運良く風と共に散りゆく年には、花吹雪の中で束の間のカタルシスに浸った。解き放たれた悲しくもあたたかい感情は、終わりを連想させるものではなく、寧ろ、これから訪れる命の盛る季節の到来を予感させるものであった。

宙に空いた「穴」を見上げていると、そんな昔のことが走馬燈のように脳裏をよぎった。今はもうその桜の木がなくなっているという現実が、真綿で首を絞めるように、じわじわと心を締め付ける。かつては桜の枝葉があった宙空に突然空けられたその「穴」が投影されたかのように、心にもぽっかりと穴が空いたような、そんな気分になった。

 

そうか、もうあの桜の木はないんだ…

 

「穴」の向こうに広がる空の青は、哀しいまでに透き通っていた。


祖父

両親が共働きだったということもあってか、幼い頃、僕はよく祖父に面倒をみてもらっていた。祖父は正義感が強く、悪さをしてはよく叱られた。祖父からは様々なことを学んだ。魚の釣り方。蛸や貝の捕り方。花の蜜の吸い方。笹舟の作り方。曼珠沙華で首飾りの作り方を教わったこともある。幼少期、夏休みともなれば、毎年祖父と二人きりで田舎で生活をしていた。

核家族ではあったものの、小学校高学年になるまでは、一年の内で150日以上は祖父と暮らしたように思う。僕の中にある僅かな、それでいて確かな道徳律というものは、祖父との暮らしによって培われたものだという確信がある。そんな心の師とも言うべき祖父が癌に侵されたのは十代半ばの頃である。

 

中学・高校と進学するにつれ、祖父と過ごす時間は次第に減っていった。僕が勉強や部活や遊びに興じている間に、祖父の体は確実に衰えていった。それでも祖父がいなくなることなど想像だにしていなかった。諸行無常にして盛者必衰の理があることは知っていながら、なぜ当時の僕が祖父がいなくなることに「気づけず」にいたのか、今でも不思議に思う。それ程、祖父の存在は僕にとって力強く、偉大だったのだ。僕がどこにいて、何をしていようとも、心のどこかに祖父の手のぬくもりが息づいていて、この世のどこかに存在していることが至極当然のことだった。その感覚は、実際に祖父が灰となる直前まで続いた。

確かに予感はあった。手術を繰り返し、衰弱の果てに意識を失って寝たきりとなった祖父を見舞うと、もはや「戻っては来られないところ」へ行こうとしているのだということは、頭の中では理解できる。ただ、信じたくなかっただけかもしれない。僕は意識の底で、終わりが訪れるのを拒んでいた。

 

祖父が存在することを、当たり前のこととして思う不思議な感覚はあったものの、それと同時に、ある種の覚悟も芽生えていった。それは結果として最後となった祖父の見舞いに行った時のこと。

寝たきりの祖父は意識も戻らず、家族の呼びかけにも応じることができなくなっていた。医師も迫り来る最期を告げ、家族の誰もが覚悟を決めていた。病室の扉を開け、ベッドの脇に立った僕は、すっかりやせ細った祖父を見下ろしていた。あれ程大きかった祖父を見下ろしていたんだ。

祖父は目を閉じ、微かに息をしているだけだった。耳も聞こえているかはわからない。ただただ横たわっているだけの祖父。「恐らくこれが最後だ」と叔父に告げられ、僕は立ち尽くすしかなかった。

 

「じいちゃん」

 

弱々しく絞り出されたその言葉以外に、僕は何も口にすることができなかった。

その時、閉ざされた祖父の左目から、たった一筋の涙が零れ落ちた。

その場にいた誰もが瞠目した。愛妻の呼び掛けにも応じず、息子たちの言葉にも反応できなかった祖父が、最後に遺した生の証だった。そして、呼応するかのように、その場にいた皆が涙した。喜びと悲しみの入り混じった小さな嗚咽が、誰の口からともなく漏れ出ていた。

ただ一人取り残された僕は、何もできずにいた。心に芽生えた微かな覚悟を黙殺しようと抗い、祖父の目尻に残された涙の軌跡を見つめながら、ただただ立ち尽くしていた。

 

それから数日後、祖父は息を引き取った。とても寒い日の午後だった。

 


存在するということ

「存在する」ということはどういうことだろう。実に不思議な印象を与える言葉だと僕は思う。何も哲学的にオントロギー(存在論)としての話をしようというわけじゃない。他のものが存在しているというただそれだけの事実が、自分にとってどのような意味を持つのか、ということを言おうとしているだけだ。

 

「存在する」と言えば、どこか能動的な行為をしている響きがあるが、そうじゃない。というのも、存在している主体(あるいは、「もの」)は何かを能動的に行っているわけではなく、単に「いる(ある)」だけだからだ。かと言って、まるっきり受動的かと言えば、そうでもない。殆どの生命が、積極的に存在し続けようとして、能動的に多くの行為を行っているからである。

「存在する」という言葉が、不思議な印象を与えるというのは、その言葉が能動と受動を分かつ分水嶺上で、揺らめいているということに起因する。

 

このような「存在する」という言葉の持つ両義性は、主体的な意味合いにおいては言うに及ばず、客体的な意味においても同様である。他のもの(即ち「客体」)が存在するということが何か積極的な意味を、自分という主体にとって、果たして有するかどうか。

「存在する」ただそれだけでは、客体が何かを積極的に行っているとは言えない。例えば、寝たきりの祖父が、僕という主体にとって、何かをしているかというと、そうではない。語りかけることもなければ、触れることもない。存在するというだけなら、僕を必要としない。ただ自己完結的に存在しているだけである。にも関わらず、「いる」のと「いない」のとでは、大きな違いがある。前者の場合、少なくともある心的作用を僕にもたらすという点において。

「いる」ということは、心にある空隙を埋める、あるいは、精神の恒常性を支える役割を果たす。しかし、このような働きは普段認識されることはあまりない。それが失われて初めて思い知らされるのである。

 

不思議なものだ。何をしてくれなくてもいい。譬え、二度と一緒に笑い合えなくても、頭を撫でてくれなくても、優しく叱ってくれなくても構わない。ただ「いて」くれるだけで良かったんだ。

自己中心的だと言われるかもしれない。ひょっとしたら、祖父自身は生きるだけの日々がつらかったのかもしれない。目も見えず耳も聞こえず、意識だけがあったとしたなら、地獄のような日々だっただろう。そう考えるだけで胸が痛くなる。それでも、祖父が「いる」ということは、僕にとって、望ましいことだった。

 

「いる」ということ。それは暗闇を彷徨っている時に見える仄かな光のようなもの。喩え、そのぬくもりが伝わらなくとも、実にあたたかく、勇気づけられる。自分にとって大切な客体の存在とはそういうものなのだ。

悲しいのはそれに気付けないこと。今まであったものがいなくなると、それが心に占めていたところに隙間が生まれる。その隙間から生まれた穴をじっと見ることで、そのものがいかに大きな存在であったかがわかるのである。

 

 

あの日、透き通っていた空に、今は亡き桜の面影を見上げながら祖父のことが偲ばれたのは、こうした理由からだったのかもしれない。

 

桜散る木の下風は寒からで

空に知られぬ雪ぞ降りける

(紀貫之)

 

いつか見た花吹雪の中に僕は佇む。そして、ひとひらの「雪」が頬にはりつく。やがて、その「雪」は空知らぬ雨となって、一筋、頬を伝って流れ落ちていった。

 

 

 

by    tetsu