スモールライトとガリバートンネルの違いについて哲学的に考えてみた

ガリバートンネルは不要か?

小さい頃、ドラえもんが好きだった。いや、今でも好きだ。譬え四次元ポケットがなくて道具が出せなくなっても。ネズミ一匹相手にトンデモ兵器を出してパニックになろうとも。時にはどら焼きでスネ夫に買収されようとも。見た目タヌキなのに猫型と言い張るほど、意味不明なプライドが高くても。きっと僕はドラえもんが好きだ。そう、大山のぶ代の声でなくなっても。

「アンアンアン、とっても大好きド~ラえ~もん~」

と歌っている人よりも、ドラえもんが好きな自信はある。ひょっとすると、世界現代三大ギタリストのジョン・フルシアンテよりも好きかもしれない。

だから、ドラえもんの道具の中で何が欲しいかと訊かれると返答に窮する。なぜなら、ドラえもんが道具よりも好きだからだ。それでも、敢えて!と潤んだ瞳でしずかちゃんに言われると、どこでもドアと答えざるをえない。そう、僕は強いて言うなら、どこでもドアが欲しい。

だってあんなに便利なものはない。あれさえあれば、どこにだって秒で行ける。しかもタダで。そんな便利なものがかつてあったであろうか(なに?今でもない?そんなことはない。どこでもドアはいつだって心の中にあるものさ)。

幼い頃はタケコプターに憧れていたこともあった。でも今は違う。なぜなら、タケコプターはあまりにも非現実的だからだ。冷静に物理的に考えると、頭に直接装着して、体が浮くほどの浮力を得ようとプロペラを回したら、どう考えたって頭皮がもげる。十円ハゲならぬタケコプターハゲになってしまう。僕はまだハゲたくはない。だから、行きつけの美容室の店長に教わった頭皮マッサージをしばしば行っている。それほど僕はハゲたくはないのだ。経年劣化として、全体的になら、日本人特有の無常観でやむなく受け入れることもできるかもしれない。だが、局所的に、しかも隠しきれない頭頂部を円形にハゲるなど、まっぴらごめんだ。だから、僕はタケコプターが好きではない。かつて、欲しいと思っていた自らの愚かしさを恥じるほどだ (認めたくないものだな、若さ故の過ちというものを)。

今では頭皮がもげるタケコプターに心を揺さぶられることはない。どこでもドアが好きだと胸を張って言える。そう、譬え、そんな技術が実現すれば、各種交通機関の経済状況がのっぴきならないことになろうとも。

僕がどこでもドアを欲っするのと同じように、別の道具を欲する人間もいることだろう。中にはスモールライトを欲しがる人間もいるかもしれない。出会った中にもそのようなスモールライト派が、実際にいた。しかし、聞き捨てならないセリフを聞いたことがある。

スモールライトがあれば、ガリバートンネルなんていらねえだろ

(小学校の頃に出会ったスモールライト派の人間より)

なんと尊大な!決してそんなことはない。僕も別にガリバートンネルが欲しいとは思わない。どちらかと言えば、スモールライト派だ。だからといって、ガリバートンネルを貶めようとは思わない。ガリバートンネルにはガリバートンネルの良さがきっとある。僕は受け入れることはないが、ガリバートンネルの存在は尊重したい。そのためにも、スモールライトとガリバートンネルの違いを今一度考え直す必要があるのではないだろうか。

 


スモールライトとガリバートンネルの違い

スモールライトとガリバートンネルの違いには、主に3つの違いがある。

大きさ

まず、大きさが違う。ガリバートンネルはのび太の背丈ほどの大きさがある。ドラえもんでも軽々と持ち上げられる重さという点はさて置き、持ち運びには不便だ。友達との待ち合わせにガリバートンネルを持って行こうものなら、「お前良い歳して何持ってんの?」と冷ややかな視線を送られること間違いなし。公共交通機関であれば、乗車券とは別途に手荷物料を取られるレベル。下手すると、乗車拒否なんてことも。宅配便で送るなら、どれほどの料金がかかることやら。

一方、スモールライトだと、うまくいけば四次元でないポケットにも入る大きさ。乗車拒否される恐れもない。携帯性という点においては、ガリバートンネルに比べて、実に便利なものである。

 

有効時間

次に、有効時間。スモールライトには、有効な制限時間がある(ドラえもん大長編第6巻『ドラえもん のび太の宇宙小戦争(リトルスターウォーズ)』参照)。スモールライトで小さくなっても、多少個体差はあるものの、一定時間を過ぎると元の大きさに戻るという性質がある。

だが、ガリバートンネルには制限時間はない。直接作中で明記されてはいなかったと記憶しているが(記憶違いならゴメンナサイ)小さくなれば、小さくなりっぱなしである。

また、スモールライトが電池を必要とする点でも、使用時間という意味において、有効時間があると言える。しかし、ガリバートンネルにはない。トンネルさえあれば、いつでも小人になれる。

 

縮小率

最後に、縮小率。スモールライトは光を当てれば当てるだけ小さくなる(限界の縮小率がどれくらいかはわかりません。ゴメンナサイ)。一方、ガリバートンネルは一定の縮小率で、小さくなることができる。

そういう意味では、縮小率を自在に操ることのできるスモールライトの方が優れているのかもしれない。

だが、利点という意味において、果たして、本当にそう断じて良いのだろうか?今回の論点はそこにある。

(※補足. スモールライトが対物用で、ガリバートンネルが対人用という意見も見受けられる。確かに、用法における適切さという点においては、スモールライトは対物用かもしれない。だが、小さくできるという機能的実用性において、人にも使えるのだから、その点に関してはガリバートンネルと違いはない。よって、ここでは厳密な意味で、スモールライトとガリバートンネルの違いには含めないことにする。)

 


スモールライトとガリバートンネルのメリット・デメリット

スモールライトとガリバートンネルの基本的なメリットとデメリットについては、上述したような両者の違いを見ればわかる。携帯性で言えば、スモールライトの圧勝。有効時間については、ガリバートンネルの方がやや有利。ただ、有効時間については、道具の破損によって、万が一元に戻れない可能性を考慮すれば、有効時間を過ぎれば元に戻れることが保証されているスモールライトが有利かもしれない。それでも、このようなリスクマネジメントの観点よりは、小さくなったままでいられるという道具の使用目的に適っていることから、有効時間については、ガリバートンネルに軍配が上がるのではないだろうか?

さて、問題は縮小率について、である。縮小率が調節できるという意味では、確かにスモールライトの方が便利かもしれない。本当にそうだろうか?というのも、常に一定であるということにも、メリットがあるような気もするからである。

スモールライトは縮小率が調節できる。しかし、それはスモールライトがあくまで道具の機能としてそれができるだけであって、実際に思うように、使い手がその機能を発揮できるかと言うと、それは別問題のような気がする。

例えば、飛行機。確かに、飛行機は空を飛ぶことができる便利なものである。しかし、その機能を誰もが遺憾なく発揮できるかと言うとそうではない。よく言われるが、飛行機は離陸と着陸には高度な技術が求められる。素人がおいそれとできるものではない。別に、飛行機ほど複雑なものではなくてもいい。一輪車はどうか?あれほどシンプルな乗り物もない。使い方もシンプルである。だが、実際に乗りこなせるかと言えば、そういうわけではない。勿論、練習すれば、やがては乗りこなせるようにはなるのだろうけど、見た目ほど簡単には行かない。僕は一輪車に乗れない人間を何人も知っている。ミシンはどうだ?あれも機能としてはシンプルだ。縫うだけ。だが、誰もがミシンを使えるのか?そうではないだろう。僕は中学生の時に、家庭科の時間にミシンを使ったことがあるが、布が暴走したみたいに、なかなか真っ直ぐに縫えなかった記憶がある。それと同じことがスモールライトに言えないのだろうか?

縮小率を合わせると言えば聞こえはシンプルである。だが、シンプルであるからといって、使い方がイージーかというと、それは早計というもの。例えば、理科の実験で用いる顕微鏡の倍率でさえ、一発で合わせるのは至難の業だ。勿論、徐々に調節はできる。だが、最適な倍率に合わせられる人間はごく少数だと思っている(まあまあ観察できるよね、くらいには誰もが使いこなせるとは思うのだが)。

では、縮小率の最適化が重要な場合などあるのだろうか?あると言える。例えば、ジオラマのように小さな町で遊ぶ場合などがそうである。ドラえもんの本編に出てくるように、ノビタランド(3巻)やミニハウス(21巻)で遊ぶ場合、縮小率はかなり重要な問題として扱われなければならない。あなたが日常生活を送るにあたって、もしあなたの身長が2倍になったとして、それでもあなたは快適に生活することができるだろうか?背の低いとされる一般的な成人女性でも、3mほどになる計算だ。小学生でも、2mを優に越えることになる。それでも、快適に日用品を使うことができるであろうか?恐らく、難しいと思う。椅子や浴槽からは体がはみ出し、庇に頭を打つ。そういったことが、容易に想像できる。なぜなら、日用品は3m、あるいは、優に2mを越える身長に合わせて作られてはいないからである。それを考えると、身長の縮小率が如何に重要かがわかる。

スモールライトで小さくなるとき、このような縮小率の最適化が求められる場合がある。だが、ガリバートンネルにはそれがない。常に一定の縮小率で小さくなることができる。いつでもどこでも。そして、誰が使っても、である。何ら難しい技術は必要ない。くぐれば良いだけの話である。これはガリバートンネルのメリットとは言えないだろうか?

スモールライトは、光を当てる秒数に比例して、縮小できるとしよう。だが、それほど正確に秒数を計れる人間が世の中にどれほどいると言うのか?試しに計ってみると良い。ストップウォッチを片手に、感覚だけで秒数を計ってみて欲しい。ピタリ賞を出すのが、ごちバトルよりも難しいことがわかるはずである。

スモールライトを扱うのは見た目よりも困難を伴うことが予想される。そんなスモールライトをイージーに使いこなしているかのように見えるドラえもんたちは、ひょっとしたら、とてつもない職人技を身につけているのかもしれない。そんな人間(+タヌキ型ネコ型ロボット)にしてみれば、確かに、縮小率が調節できるという機能は便利であろう。だが、そういった技を持たない人間にとってみれば、安定した縮小率を出せないスモールライトは、時には、不便なものとなりうるのである。

 


ガリバートンネルの必要性にみる物事の捉え方

物事には、メリットとデメリットがある。だが、それは見方や立場を変えると、容易に反転しうることがわかる。確かに、フレキシブルに調節できるということは、大きなメリットかもしれない。しかし、常に同じことしかできないという一見ネガティブなことでも、場合によっては、大きなメリットとなりうる。なぜなら、それは誰が用いても、同じことができるということだから。

逆に、フレキシブルに調節できるということは、誰がやっても常に同じことができるかどうかは保証されないというリスクが伴う。であるとするならば、縮小率において、スモールライトが優れているのか、ガリバートンネルが優れているのかは一概には言えなくなる。だが、少なくとも、ガリバートンネルが不要であるという結論に至らないのは間違いない。むしろ、子供でも簡単に扱えて、遊べるという意味においては、重要な道具と言うことができる。

私たちは物事の側面をきちんと捉えられているだろうか?物事には様々な側面がある。同じ性格でも、女々しいと捉える人もいれば、繊細な感性と捉える人もいるかもしれない。暗いと捉える人もいれば、静かで落ち着いていると捉える人もいるだろう。大切なのは、物事の一つの側面にとらわれるあまり、他の可能性を見落とすということがないように接すること。そうすれば、ただ〈小さくなれる〉という表面的なことだけを理由に、ガリバートンネルは不要と断ずることはなくなるだろう。それは、ガリバートンネルだけに限った話ではない。

チャゲじゃない方が歌ったみたく、余計なものなどないよね、というのはあらゆることに通じる気がする。こちらのものの見方一つ。ただそれだけのことに、物事のあり方は左右される。表面的なことで切り捨てるのではなく、想像力を働かせてみよう。そうすれば、どんなものでも簡単には無駄とは言えないはず。それだけで世界はもっと豊かに見えるんじゃないかな?

ガリバートンネルは必要か?という問いには、Say  yes  ということで!

by    tetsu