娯楽なのに勉強よりも人生の役に立つ?鋼の錬金術師の「等価交換の原則」について考えてみよう

本にしても、漫画にしても、映画にしても、アニメにしても、メッセージ性・テーマ性があるものはやっぱり面白いし、勉強になりますよね!たとえ、それが大衆的な娯楽であったとしてもね。個人的には、下手な自己啓発本よりも勉強になると思っています。というわけで今回は、「娯楽なのに勉強よりもためになる」をテーマに鋼の錬金術師の「等価交換の原則」について考えてみます。

鋼の錬金術師における等価交換

鋼の錬金術師のオープニング冒頭に次のようなセリフがあります。

人は何かの犠牲なしに何も得ることはできない 
何かを得るためには、それと同等の代価が必要になる 
それが、錬金術における等価交換の原則だ 
その頃僕らは、それが世界の真実だと信じていた

引用:鋼の錬金術師 fullmetal alchemist OP冒頭より

本当にその通りだよね。前半部分は凄く納得がいきます。何かを得るためには何かを犠牲にしなければいけません。プロ野球選手を目指すためには、その他の夢を犠牲にしなければなりません。世界中を飛び回る職に就きたいなら、愛する故郷を捨てなければなりません。日々の生活のための給料を得たいなら、時間と精神エネルギーを犠牲にしなければなりません。

しかし、何かを得るための対価は常に同等なものなのでしょうか?その答えは最後の過去形の部分に現れています。1話の冒頭で、エルリック兄弟は母親を甦らそうと禁忌である人体錬成を行いましたが、得られたものは人間のような何か?と真理(錬成陣なしで錬金術を使える能力)で、その対価として兄は右腕と左足、弟は全身を持っていかれました。

さて、これが等価交換と言えるのでしょうか?到底、言えないよね…

こうして、エルリック兄弟は失った体を取り戻すための旅を始めます。彼らは「宗教」・「戦争と人種差別」・「人が人を創ること」など様々な問題や「人の誕生」・「人種を超えた友情」などの貴重な体験に触れ、一回りも二回りも大きく成長していきます。

そうして、エルリック兄弟は等価交換に関して次のような気づきを得ます。

本当の世界は不完全でその全てを説明できる原則など存在しなかった。等価交換の原則も。それでも僕らは信じている。人は代価なしに何も得ることは出来ない。僕らが受けた痛みはきっと何かを得るための代価だったはずだ。そして人は誰でも努力という代価を払うことで必ず何かを得ることが出来ると…等価交換は世界の原則じゃない。

引用:鋼の錬金術師 fullmetal alchemist 最終回より

エルリック兄弟は「等価」交換は世界の原則ではないことに気づいたわけですね。それでもなお、彼らは人は対価なしに何も得ることはできないと主張します。そして、過去に受けた痛みも何かを得るための対価だったんだと過去の失敗を肯定しています。確かに、エルリック兄弟は数々の失敗の対価に多くの学びを得て、成長してきましたからね。「人は失敗からしか学べない」とはよく言ったものです。そして、もう一つのメッセージである「人は誰でも努力という対価を支払えば、必ず何かを得ることができる。」に続きます。

とはいえ、誰もが同じ失敗・努力から同じ価値の学びを得るとは限りません。

ある人は、失敗や努力という対価に対して何百倍ものプラス価値を得るかもしれません。またある人は、対価と同等の価値を得ているかもしれません。また別の人は、対価を支払った上に、マイナスの価値を得ているのかもしれません。

そういった皮肉的な意味を含めて、僕は「人は対価なしに何も得ることができない」という言葉が結構好きです。だって、間違った努力や失敗の仕方からプラスのことを得られるはずがないんですから。

失敗から学ぶためには?

人は失敗からしか学べない」と言われるように、失敗から多くの学びを得ることが出来ます。さらに、数々の失敗から学んだ気づきがやがて大きな成功につながるかもしれません。そう考えると、失敗を対価に成功を得ることも十分に可能です。しかし、ただ闇雲に失敗を繰り返して良いわけではありません。常に失敗から多くのことを学ぶことが重要です。

許容できるリスクの範囲内で失敗しよう

実際、本田宗一郎、松下幸之助、エジソン、アインシュタインなど多くの偉人が「失敗の大切さ」に関する名言を遺しています。その中でも、僕が好きな名言はユニクロの社長である柳井正さんの「小さな失敗を積み重ねることによって、成功が見えてきます」という言葉です。

マンガやアニメと現実世界が大きく異なる点は「主人公補正」のあるなしです。そりゃ、アニメや漫画なら大きな失敗をしても、ルフィやのように不死鳥の如く蘇りますが、現実世界ではそう上手く行きません。普通の人間は一度大きな失敗をすれば、なかなか立ち直れません。そのため、許容可能な小さな失敗を重ねることが重要なんですね。

自分の失敗を客観視しよう

自分の失敗を主観的に見てしまうと、なんでこの時こうしなかったんだろうか?と何の役にも立たない後悔をすることになってしまいます。一方で、自分の失敗を第三者的に見ると、何が問題だったのか?それを次どのように生かすのか?という反省をしやすくなります。そうすれば、同じ失敗からでも多くのことを学ぶことができます。最近はビジネス書でも、「失敗学」を良く取り扱っていますからね。

努力を対価に成果を得るためには?

努力をすれば報われる?

残念ながら、努力に等価交換の原則は成立しません。時としては、1の努力をして10の対価を得られることもあるし、10の努力をして1の対価しか得られないこともあります。以前の記事でも紹介しているように、適切な努力は報われ、適切でない努力は報われません。もし、適切な努力が出来た上に才能が加わっていれば、常人では到達できない域に到達できます。イチローのようにね。

適切な努力をするための方法論についてもこの記事で触れていますので、気になる方はご覧くださいね。

「努力は報われる」/「努力は裏切らない」というのは本当だろうか?―適切な方法論について

そういえば、林修さんも努力に関して「正しい場所で、正しい方向で、充分な量なされた努力は報われる」という言葉を以前テレビ番組にて紹介していました。本当にその通りですよね。

そう考えると、「人は誰でも努力という代価を払うことで必ず何かを得ることが出来る」というハガレンの名言も言い得て妙ですよね。得られるものは何かなんですから。努力の対価に絶望を得る可能性も示唆しているわけです。

まとめ

  • 等価交換の原則は現実世界で成立するの?
    成立しません。
    ただし、人が対価なしに何も得られないことは事実です。
  • 失敗という対価から、成功を得るためには?
    リスクの取れる範囲で失敗をしよう。そして、失敗をしたら客観的に失敗を振り返り、原因は何か?次はどのように改善するのか?について考えましょう。
  • 努力を対価に、成果を得るためには?
    適切な努力をすれば、自ずと成果を得ることが出来ます。もし、そこに才能が加われば歴史に名前を遺せるかもしれません。

また、適切な努力をするための方法論について気になる方はご覧ください。

「努力は報われる」/「努力は裏切らない」というのは本当だろうか?―適切な方法論について