世の中には、様々な人間がいます。善良な人間も、そうでない人間も。しかし、何よりも重要なのは、あなたにとってどういう人間か?ということでしょう。自分の人生において、有意義な人間関係を築くために、人を肩書きで判断してはいけない。そんなお話です。
目次
どうやって人を判断する?
初めて会った人間をどのように判断しているでしょう?ほとんどの人は、まず肩書きに目がいきます。
〈仕事は何か?〉
〈どこの会社に勤めているか?〉
〈どこの大学を卒業しているか?〉
社会的ステータスと言えるものですね。仕事であれば、当然、人を判断する1つの有効な基準となるでしょう。しかし、それでその人間が理解できる?かと言えば、そんなはずはありません。
個人的な経験で言えば、日本で有数の国立大出身者であろうと、一流の企業に勤めていようと、愚痴ばかりでプライドが高く、仕事のできない人間なんてザラにいます。もちろん、理性的で機知に富み、魅力的な方もたくさんいますけどね。
でも、そういう人たちは、何も肩書きが良い人ばかりではありません。大学を出ていなくても、どんな仕事に就いていようとも、魅力的な方は大勢いらっしゃいます。
私は、できることなら、そういう魅力的な人たちと、大切な時間を過ごしていきたい。そう考えてます。では、何を基準に人を、その人間性を判断すれば良いのでしょう?
人を判断するのに肩書きを基準にしない方がいい理由
人を判断するのには、様々な基準があると思います。しかし、肩書きをその基準にするのは、あまりお勧めしません。
肩書きが確かではないということ
1つ目の理由が、人が名乗る肩書きが、確かなものかどうかがわからないからです。同じ組織に所属している人やある程度密な人間関係を築いている人ならまだしも、本当にその人の肩書きが正しいかどうかなんて普通はわかりません。恐らく、確かめようとする人さえ、あまりいないのではないでしょうか?
良く言えば、哲学的な認識を実践していると言えるでしょう。悪く言えば、疑り深く人間不信みたいなところがあるのかもしれません。しかし、少しうがったものの見方かもしれませんが、これは大切なポイントです。
極端な話、名刺を渡されても、それが確かに本人の物なのかどうかなんてわかりません。ビジネスであっても、名刺の肩書きを信用し過ぎないということは重要です。なぜなら、肩書きなんて作ろうと思えばいくらでも作られるからです。
仕事をしてなくても「○○代表取締役」なんて人もいますし、最近ではカタカナ英語で「□□アドバイザー」なんて言われてもいまいち理解できないこともあります。もちろん、こういう肩書きが悪いわけではありませんよ。立派に働いている方は大勢いらっしゃいます。
それでも、重要なのは、その肩書きで何をしているのか?という中身です。それは肩書きを聞いただけではわかりませんよね。だから、自分が抱くイメージだけで肩書きを鵜呑みにするのはお勧めできないということです。
肩書きがその人の一面に過ぎないということ
もう1つの理由は、肩書きが、その人の一面性しか表していないというもの。人には、様々な社会的関係があります。ビジネスであれば、上司であり、部下であり。家庭であれば、夫であり、息子であり、父親であり…。
社会に生きている以上、人には様々な立場があります。 社会的ステータスは、その立場を表すものですが、逆に言えば、その人の人間性の一面しか表していないということも事実です。その一面性をもって、その人の人間性を推し量ることは難しいでしょう。
車を買う時も、人は様々な性質を考慮しますよね。姿形など、見た目はどうか?大きさは?燃費は?馬力は?値段は?車1つとっても考えるべきことはたくさんあります。それがある人の人間性の判断に関わることであれば、なおさらですよね。
自分の大切な人生の限られた時間を共有するのであれば、やはり、人間的に魅力のある人や、信頼できる人が望ましいと思います。肩書きは、そうした人間性を表すものとしては適切ではありません。
その一面性でも構わないと言う人もいるでしょう。しかし、どれほど立派な肩書きを持っていようと、どれほど仕事ができる優秀な人材でも、礼節に欠けているようでは時間を共有したいとは思えません。
仕事がバリバリできるけど、周りを見下してばかりで、年下や目上関係なく挨拶ができないという人を知っていますが、たとえ仕事であっても、そんな人と一緒時間を共有できますか?私は、したいと思いません。ギスギスするだろうし、何かあっても助けてくれない、言うならば、信頼関係が築けないからです。
信頼できる人のポイント
その人の人間性を判断しようとすれば、様々な面を考慮して、総合的な判断が求められます。しかし、人間の持つ様々な面をすべて総合させるなんて、よほど親密にならない限り、できっこありません。それでは、どのようにして、なるべく短期間でその人を判断すれば良いのでしょう?
発言に整合性があるか?
1つの基準は、整合性にあります。 その人の言動にブレがないかどうかを見るということです。信用できない人は、言動がブレブレであることが多いです。「する」と言っていたことをいつまでもしなかったり、約束を破ったり…。
※他にも信用できない人の特徴はコチラを参照に
あれ?おかしい…と思うことがあれば、どれだけ立派な肩書きであろうと、距離を置いた方が良いでしょう。〈君子危うきに近寄らず〉の精神ですね。
困っている人や弱者に対する考え方
2つ目が、困っている人や社会的弱者に対して、どのように考えていたり、どう接するか?をみてみることです。人として、人間性を推し量る上で、とても重要なポイントだと思います。
それは視線や態度に表れます。人を蔑むような目つきをしたり、よそよそしい感じで距離を置いたり、困っている人がいるのに、手を差し伸べなかったり。
別に大したことじゃなくても良いんです。それなりに混雑した電車の座席に座ってて、目の前に年配の方や体長の悪そうな方がいれば、譲って差し上げるとか。日常のほんの些細なことで構いません。
それがさり気なくできる人は素敵ですし、自分がいざ困った時にも、助けてくれることが多いでしょう(※「ギブ&テイクの人間関係における意味」の記事を参照にして下さい)。でも、冷たくあしらったり、見て見ぬ振りをしているようですと…明日は我が身、かもしれませんね。
まとめ
人を判断するときは、肩書きを基準にしても、あまり意味はありません。理由は2つ。
1.その肩書きが確実なものかどうかはわからないから。
2.肩書きなど、所詮、人の数ある中の一面に過ぎないから。
では、何を基準に判断すると、良い人間関係が築きやすいか?あくまで、個人的な見解ですが、 「言動がブレないこと」と 「人に与えることができること」ができそうな人か?をみます。
もちろん、相手もそういうところをみてきますから、仲良くなるためには、まずは自分がブレず、人に与えることができなければいけません。実りある交友関係を築くために、相手から求められる人間性を培う必要がありますね。自戒の念を込めて。
by tetsu
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