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良い人間関係を築くために気を付けなければならないこと
他人を信用しませんよね?って言われることが、しばしばあります。ひょっとしたら、社会通念上、そう言えなくないのかもしれません。でも、社会生活を送る上で、他人を一切信用しないなんてことは不可能です。レストランで出された物は食べますし、電車にも大人しく乗ります。
とは言え、極力、信頼関係を築いた人以外の作ったものは口にしたくありませんし、運転するものにも乗りたくはありません。譬え、青信号でも左右確認はしますし、電車がホームに近付いてきたときも、後ろを確認します。もちろん、皆が皆、悪意をもって自分に危害を加えようとするなどとは思っていません。しかし、不慮の事故というものもあります。
きちんと洗えていない食器に洗剤が付着しているかもしれない。運転手さんが運転席中に意識を失うかもしれない。突発的な病気でフラついた人がホームで電車を待っている僕の後ろから倒れ込んでくるかもしれない。だから、何も故意にそうされる危険性を憂慮してというわけではなく(本当に稀にそういう人間がいるという危険性もなくはないのでしょうが)、万が一に対しての行動なのです。備えあれば憂いなし、と言いますもんね。
要するに、僕は他人の人間性や人格を信頼しないのではなく、行動や発言を十全的な確からしさをもって信用していないだけです。善悪の意識と行動は必ずしも一致するわけではありません。本人に悪気がなくても、「やっちまった」失敗ってのもあるでしょう。人間ですから、それは仕方ありません。しかし、それが取り返しのつかない可能性もあります。
放たれたものが憎悪であるならば
目を開いて受け止めよう
放たれたものが憎悪以外のものであるならば
笑みをもって受け止めよう『沈黙の艦隊』海江田四郎の言葉より
僕の好きな言葉にこんなものがありますが、「やっちまった」失敗には寛容な人間でありたいものです。でも、万が一の事故には備えたい。人間関係についても、そんな心構えが大切ではないかと思うことが、よくあります。もちろん、相手の、特に人格を疑い過ぎると、円滑で豊かな人間関係など望むべくもありません。
では、良い人間関係を築くために、最低限気を付けなければならないこととは何でしょう?それは相手の言動には対して、細心の注意を払うということ。要するに、人の言うことを鵜呑みにしないことが大切です。特に気を付けなければならない人の特徴を挙げてみましょう。
あまり信用できない人の特徴
大袈裟に言う人
どこにでも大袈裟に何かを吹聴する人がいます。本人には、特に悪気もないのですが、何かを伝える時に、ある数や程度を、現実以上に誇張するわけです。
誰かが少し不機嫌だったのをその人伝に聞くと、「めちゃくちゃキレてたよ!」と言うわけです。あるいは、数人が言ってたことでも、「み~んな言ってたよ!」とか。正直、そんな表現を聞くと、「めちゃくちゃキレてた」てどんだけ怒りのハードル低いねん!とか、「み~んな言ってたよ!」って、皆て誰やねん!とツッコミたくなることもしばしば。
そんな人の言動を真に受けて事にあたると、聞いていた情報と現実があまりにも乖離し過ぎていて、ちぐはぐなことをしでかしてしまうなんてことにもなりかねません。だから、僕は、そういう人の言うことは、あまり当てにしないようにしています。
だからと言って、その人を信頼しないというわけではありません。本人には、騙してやろうとか、嘘をついてやろうなんて悪意はこれっぽっちもないことが多いのです。老若男女、色んな人間を見てきましたが、そういう人がすべて人間的に信頼できないわけではないのです。中には、とても良い(あくまで自分にとって、ですが)人間もいるのです。そういう人の物事を大袈裟に言いたがるという特徴に目をつむれば、良い人間関係を築くことだってできます。
ただ、そういう人と信頼関係を築く前には、その人が大袈裟に物事を言いたがる人間かどうかはわかりません。長い間一緒にいるとわかる特徴ですが、最初にこれをやられると、信用できない人間のレッテルを貼ってしまいかねない。そうなると、良い人間関係を築く可能性の芽を摘むこととなり、機会損失にも繋がります。
その上、常に他人が確かな情報を持ってきてくれるとは限りません。普段なら、そういう癖のない人でも、状況によっては、大袈裟に物事を伝えるということも起こりえます。問題なのは、そうした大袈裟な情報を鵜呑みにして事にあたり、物事の対処に失敗することではありません。その失敗を他人のせいにすることにあるのです。
人間は基本的には弱い生き物だと思います。強い人ばかりではありません。だから、他人の言うことが違ってしまったせいで何か問題が生じると、その失敗を自分の責任として処理することができないのです。そうなると、その失敗を大袈裟に物事を言う人のせいにします。「あいつがあんな事を言ったから、こんな事になったのだ」と。
そうなると、その人との良好な人間関係の可能性は潰えてしまいます。これは勿体ない。ですから、そうならないためにも、人の言うことは最初から鵜呑みにしない方が賢明と言えます。僕の場合は、やや極端かもしれませんが、「めちゃくちゃキレてた」とか「皆言ってた」と聞けば、「不機嫌になった人が、どうやらいそうだ」とか、「そう言ってた人もいるらしい」という程度に話を聞くことにします。
そうすると、何かに失敗したとしても、自分の責任として処理することができます。そして、その人との関係も壊さずに済みます。人間関係に余計な波風を立てることもないのです。ただ、確かめられるのであれば、自分の目と耳で確認することが何よりも大事と言えるでしょう。
「絶対」と言う人
何事につけても、「絶対」という枕詞をつける人がいます。「頼んでおいた件、大丈夫?」と訊くと、「絶対大丈夫です!心配いりません!」とか、「○○って□□らしいね」と言うと、「絶対違います!そんなわけありません!」とかって言う人。びっくりするくらい自信満々に言うんです。世の中に「絶対」なんて言えることなんて、そんなにない気もするんですが…。
これも「大袈裟に物事を言いたがる人」と同じで、決して悪気があるわけではないのです。でも、「絶対」って言ってしまうのです。困ったもんです。自分の判断や発言に対して、どこからそれだけの自信がくるのかはわかりませんが。
これも、既に述べたように、鵜呑みにすると、不都合が生じる場合があります。やはり、問題なのは、その責任の所在を他人に求めてしまうというところにあります。そうなると、その人の人格攻撃へと発展しかねず、良好な人間関係を壊してしまう可能性があるのです。これも機会損失と言わざるをえません。
ただ、事はそれだけに収まらない場合もあります。例えば、仕事関係などでこのようなことになると、失敗を人のせいにしてしまい、関係者に、「失敗の責任を人になすりつけている」とか、「潔くない」などという印象を与えてしまいかねません。自分の信用を失墜させる危険性さえあるのです。良いことなんて1つもありません。
そうならないためにも、事実関係は極力、自分の目と耳で直接的行うようにしましょう。つまり、誰かが言っていた情報を事実として受け取らず、「誰かが云々と言っていた」ということ自体を、事実として情報を受け取る姿勢が必要なのです。
そして、仕事において大切なのは、誰かが言っていた情報が、事実と異なっていた場合にも備えて事にあたるということです。備えあれば憂いなし。そうすることで、余計な問題は起こさずに済みますし、誰かが余計なことを言ったから、なんて理由で争い合うことも、最小限に抑えられます。何よりも、不毛な争いにおける時間と労力、精神力の消耗は避けられそうですしね。
何度も言うようですが、信用できない人というのは、その発言においてのみです。人間性に信頼がおけないというのは、また別問題。もちろん、人間性も信頼できない人はいるでしょうが、不毛な争いを起こすという意味での波風を立てない人間関係のほうが好ましいですからね。そのためには、人のせいにしなくて済むような接し方を心掛けると良いでしょう。
by tetsu
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