「考えなさい」
仕事や勉強、スポーツなど、様々なシチュエーションで言われたことがあると思います。でも、考えるってどういう意味か、きちんと理解できてますか?
目次
考えるとはどういうことか?
考えるとはどういう意味でしょう?頭を働かせる事なんて答えが聞こえてきそうですが、これでは不十分ですね。頭を働かせる方法は他にもあります。「認識する」「記憶する」「知覚する」「想像する」…その内の1つに「思考する(考える)」という働きがあるのです。
ちなみに、『広辞苑』には次のような説明が書かれています。
①思いはかる。思考をめぐらす。
②問いただす。吟味する。
③学ぶ。学習する。
(『広辞苑 第二版』岩波書店より)
②の「吟味する」という意味でも使われますが、基本的には①の意味で用いられることが多いでしょう。とは言え、「思いはかる」も「思考をめぐらす」も同じような表現で、どういうことなのかがわかりづらいですね。
考えるとは、 筋道立てて頭を働かせることを意味します。
「雨が降ったから川の水が増す」
「曇っているから星が見えない」
このように、「こうなったからああなる」という筋道に沿って思いをめぐらせることが、考えるということなのです。
考えることの本質について
考えることの本質は、 筋道立てられているということです。これが何よりも重要です。しかし、この本質が捉えられていないと感じることがあります。
考えるということは、仕事や勉強、時には遊びにおいても、とても大切です。パスカル(哲学者)も言うように、人が生きるということと考えることとは、切っても切り離せない関係にあるのです。
(※注. パスカルが『パンセ』において言ったとされる「人間は考える葦である」は間違い。正確には「人間は一本の葦に過ぎない。それは自然の中で最も弱い存在である。しかし、考える葦である」となります)
筋道立てられているという本質を捉えそこねると、いつまでも考える力が養われることはありません。そればかりではなく、単に時間を浪費することにも繋がりかねないのです。
特に、気を付けたいのが「迷う」という行為です。これが考えるという行為と混同されやすいんですね。「迷う」は、先ほどの『広辞苑』の②の説明にある「吟味する」に近しい意味だとは言えそうですが、やはり②の意味にも筋道立てられた思考性が含まれます。「迷う」と「考える」は、似ているかもしれませんが、全くの別物なので、注意して下さい。
相手に考えさせたければ
実は、「考えなさい」と簡単に口にする人に限って、考えるとはどういうことなのかが、よくわかっていない事があります。考えるという言葉は、よく何かを指導するときに、使われますね。
「どうすればもっと集客できるようになるのか考えろ」
「どういう勉強の仕方をすれば成績が上げれるか考えろ」
「どうして今回の試合に負けたのか考えろ」
私も人生の色んな場面で耳にしてきました。でも、正直あまり理解できていませんでした。考えるという言葉の意味をきちんと把握できていなかったのです。そして、厄介な事に、「考えろ」と言う本人さえもわかっていないことがあります。
できる人は自然にできてしまうところに考える事の難しさがあります。呼吸をする事と同じですね。できる人にしてみれば、当たり前のようにできる事なのだから、できない事の方がむしろ不思議なくらいです。だからといって、「考えろ」の一点張りでは、いつまでたっても、相手もできるようにはなりません。きちんと指導するためには、考えることの本質を教える必要がありますね。そう、その本質とは、筋道立てられているということです。
当然、考えるということがどういうことか、その本質はどこにあるのかを教えることは、とても大切なことです。しかし、それを教えたからと言って、はいそうですかとできるほど簡単なことではありません。だから、「こうすればこうなるでしょ」と、いくつか具体的に教える必要があります。
「どうすればもっと集客できるようになるのか考えろ」
ではなく
「お客さんを集めるためには、まずは知ってもらって、心に訴えかけなきゃいけないんだよね。それを踏まえると、集客するための方法っていくつか考えられるよね?ユーザーに対する周知、誘導ができるように看板やパラペットといった外観をわかりやすく演出させること。店頭販売や呼び込みによる訴求効果を狙うこと。チラシを配ったり、営業周りをして宣伝すること。その中でも今、十分にできていないことは何かな?1つ1つ吟味して実践していこうか」
こう言えば、たいていの人はわかってくれます。このように具体的に教えることで、筋道立てられた考え方の本質をつかんでいくことにも繋がるでしょう。「考えろ」と曖昧なメッセージを伝えるのではなく、きちんと本質を明確にして、具体的に教えることが、相手に考えさせる第一歩となるのです。
by tetsu
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