生産的な話し合いのために意識するべき大切なこと

話し合うことの大切さ

話し合うことはとても重要です。友人関係、夫婦関係、仕事関係など、人生の中で誰かと良好な関係を築く以上、避けられないことでもあります。ですが、世の中にはそういった話し合いを避けたがる人も珍しくありません。「頭の良い人や人生経験がヘンに長い方は、話し合いをせずに物事を完結する事がよくある」と言う人もいます。「質問をする前に自分で考えることも必要で、そのまま答えると相手のためにならない」なんて言う人もいるそうです。そういう人には「じゃあ考えるって何なのさ?」と訊いてみてもいいかもしれません。まあ、十中八九返答は得られないでしょうけど…。

(※  考えることについては、「考えるとはどういうことか」の記事を参照して下さい)

考えるとはどういうことか?―考えることの本質について

仮に、答えが返ってきても、ただ「頭を使うこと」なんて返答だと、恐らくアウトです。「頭を使うこと」と一口に言っても、「自分にとって、都合の良いことだけを相手に認めさせるための頭の使い方」だってあるわけですから。 そんな頭の使い方をする人間が2人いたところで、対立し、いがみ合うだけです。

考えるって何?という質問に答えられないにも関わらず、「自分で考えなさい」と言う人と話し合いをすることは、恐らく、難しいと思います。なぜなら、自分に都合の悪いことになると、「それぐらい考えろよ!」って言って逃げちゃうから。もし、相手のことを慮って、良好な関係を築こうという意志のある人であれば、「自分で考えろ」なんて無責任な発言は、おいそれとは出てきません。私自身が、そういう発言に苦しめられてきた経験があります。

仕事上、関わらなければならない人なら、ある程度仕方ありません。心を込めて話し合いができるよう説得してみて下さい。そういう避けられない間柄でなければ、関わらない方がいいかもしれません。それは話し合い以前の、心の問題です。心に防御壁をはって、自分のことしか考えない人と過ごしても消耗するだけです。その時間を誰か他の人と過ごしたり、別のことをする時間に充てた方が、よほど生産的です。

当然、自分の側に問題があることもあります。夫婦間などでも、日頃から小さな事に目くじらを立てたり、ネガティブな発言を繰り返していると、相手に「この人と話し合うの面倒くさい」なんて、思われることにもなりかねません。そういう気持ちの人間は、大抵、話し合いを避ける傾向にあります。ですから、話し合いが面倒だと思われない環境づくりも大事なんですね。

それでも、常に自分が正しいと思っている人がいることも、悲しいかな、事実です。そして、気づかぬ内に、自分がそういう人間になってしまわないとも限りません。そうなると、理解ある人は離れていき、人生が寂しいものになっていきます。人間なのだから、時には、意固地になることもあるでしょう。ですが、そうならないためにも、話し合える人間になることが大切なのです。

生産的な話し合い

話し合える人間になるためのポイントを書く前に、生産的な話し合いについて触れたいと思います。

生産的な話し合いとは、文字通り、話し合うことで創造的な何かが生まれるものを意味します。その創造的な何かとは? 関わり合う人間が共有する目的へと向かう方向性や道のりを決定する意志です。従って、共有する目的が見つけられなかったり、得られるものが何もないような話し合いは生産的とは言えません。また、必要以上に、無駄に時間をかける話し合いも生産的とは言えないでしょう。引き伸ばされるだけの話し合いに割かれる時間で、他のことが為しうるからです。

よくtamaが大学院生時代にボヤいてました。ゼミでの研究発表と質疑応答のやり取りが長すぎる、と。まあ原因はいろいろあったみたいで。単に、生徒側の発表の準備不足であったり、それに対する教授のアドバイスが、そういう学生への教育という目的に適ってなかったり等々。つまり、やり取りに齟齬が生じ過ぎていて、本来ならば1時間半ほどで終えられるはずのゼミが、伸びに伸ばされて、5、6時間になってしまったということらしいです。これでは、学生の研究がほんのわずかに前進したからといって、生産的な話し合いとは言えませんね?

これでは精神衛生上良くありません。ですから、まずは、生産的な話し合いを志す意識で話し合いに臨む必要があるのです。生産的な話し合いのポイントをまとめておきます。

共有できる目的や指針が得られる

無駄に時間をかけない

話し合っている大切な人のことを、より深く知ることができる

この3つの条件を満たすものを、生産的な話し合いとして、書いていくことにします。

生産的な話し合いにおいて、大切なこと

生産的な話し合いをする上で、大切なことは、主に2つあります。1つが論理的であること。もう1つが受け入れることです。

論理的であること

生産的な話し合いをする場合、それが論理的に行われるということが重要です。そういう言い方をすると誤解を与えるかもしれませんね。下手をすれば、ロジハラ扱いされかねません。でも、落ち着いて考えてみて下さい。そもそも、何のために話し合いをするんですか?自分が言いたいことをただ一方的に言うためだけではありませんよね。

話し合いとは、相手がいることです。それも、自分と同じ人間の相手が。相手にも言いたいことがあります。同じように感情も持っています。ですから、一方的にこちらがまくし立てたところで、耳を塞がれるだけでしょう。

理想的な話し合いとは、 双方が合意に至ることです。合意に至るには、両者が心から納得できなければなりません。そう、ここで論理の登場です。論理とは、皆が「確かにそうだ」と心から納得できる事柄を導き出すためのものです。だから、合意に至るためには論理が非常に有効な手段となります。論理的に話し合いが行われると、合意に至りやすいのです。

一方、論理的に話し合いが行われないとどうなるか?想像に難くありません。恐らく、双方が感情的に自身の要求を押しつけ合い、いがみ合う姿が目に浮かぶようです。

ここに、論理的に話し合うことができない人の考えられる特徴を、試しに挙げてみましょう。

・声の大きさや、自分にとって都合のいい、客観性に欠ける解釈だけで、相手をねじ伏せ、自分の意見を押し通すことを目的とする人

・言われなくてもわかるだろう、と安易に思っている人

・変なプライドが邪魔をして、体面を気にし過ぎるあまり、マウンティングに終始して、人の声に耳を貸そうとしない人

・本心を悟られるのがこわくて、理論武装してしまい、言っていることが本音とはかけ離れてしまい、何が言いたいのかがはっきりしない人

・被害者意識が強く、誰も自分のことをわかってくれないと言い、相手のことをわかろうとしないどころか、自分のことさえわかっていない人

他にも色々とあるでしょうが、ざっと挙げてもこれくらいは考えられます。さて、いかがでしょう?自分の話し合わなければならない相手が、こういった特徴を持っていると考えると、どう思われますか?正直、あまり相手にはしたくありません。

ですが、時にはそうも言っていられない場合もあります。そんな時には、相手が自分に対して何を求めているのか?本心はどこにあるのか?といったことに思いを巡らせる必要があります。また逆に、自分がそういう類の人間になっていないかも意識的にチェックした方が良いですね(自戒の念も込めて)。いずれにせよ、論理的であろうと意識することが、これらの問題の解決の糸口となるわけです。生産的な話し合いを行うためには、まずは、論理的であるよう心がけて下さい。

受け入れること

生産的な話し合いをするために重要なこと。それは受け入れるということです。何を受け入れれば良いのか?主に、3つあります。

論理を受け入れる

前提を受け入れる

言葉を受け入れる

それでは、それぞれについて見ていくことにしましょう。

論理を受け入れる

先程の話と被るところもありますが、まずは論理(あるいは、論理的であるということ)を受け入れるということです。

話し合いは、あくまで生産的に行われるもの、という心構えで事にあたって下さい。男性の中には、話し合いの場を「自分の意見を相手に受け入れさせるような、ディベート的な機会」と捉えている人が多いと、一般的には言われています。逆に、女性は「一方的に話を聞いてもらい、その上で、自分の話に共感し、理解を示してもらい、相手の考え方を改めさせるためのもの」と捉えている人が多いとも言われます。

あくまで一般論に過ぎませんが、いずれも、「生産的」とはかけ離れたものです。それでは、話し合いにおける良好な人間関係を築けるはずもありません。ですが、論理的に話し合い、双方が納得するような結果に繋がれば、これに越したことはありません。お互いが納得できるような話し合いを心がけて下さい。

そのためには、筋道立てて相手に伝えることが重要になります。まずは、伝えたいことをはっきりと伝えましょう。言わなくても伝わるというのは、間違っていることが多いです。きちんと伝えたいことを伝えるようにしましょう。その際、当然ですが、言葉選びは慎重に。大切なのは、相手にわかる言葉で、時にはオブラートに包んだ表現で話すことです(これに関しては、私も耳が痛いところです)。

でないと、相手から思わぬ反感や怒りを買う場合ありますので、くれぐれもお気をつけ下さい。そうして、伝えたいことを伝えたら、その主張に対する理由付けや根拠つけをして下さい。そうすることで、あなたの主張は客観性を帯びるようになります。このような伝え方が、論理的であるということなのです。

前提を受け入れる

次に、前提を受け入れるということ。前提とは、自分の考えや意見にとって土台となる部分です。もちろん、相手にとっても同様です。自分の考えや意見を省みるならば、その土台がどのようなものかを意識的に確認して下さい。相手の主張の前提を考える時も同様です。

実は、この前提を受け入れるということが一番厄介だと思われます。なぜなら、多くの場合において、この前提が隠されていることがあるからです。それが意識的な場合もあるでしょうし、無意識的な場合もあるでしょう。前提が見えていないということに、話している当人たちでさえ気づかないことがあるほどです。ですから、受けいれる以前のことになりますが、話がかみ合わなかったり、意見をすり寄せたりできていない時は、根本となる前提を確かめることが重要となるのです。

前提が確かめられたら、相手の(もちろん、自分のも)伝えたい内容の論理構造が明らかになります。そうすると、相手がどのような考えの基で、そのような主張を行っているかがわかります。同時に、論理的に間違っていれば、相手が確認し、指摘することもできます。岡目八目とはよく言ったもので、えてして、第三者の視点からの方が間違いに気づきやすいものです。

相手が伝えたい事柄をゴールとしましょう。前提とは、そのゴールを目指して行くためのスタート地点となります。そこから、どのような道筋(理由付けや根拠付け)を経て、ゴールに辿り着くか?そういったことが誰にでも示されるから、皆が納得することができるのです。

そう考えると、前提の確認がいかに大事かがわかりますね?相手がどのような立場から、どのような価値観を元に、主張しているかがわかりやすくなります。

気をつけていただきたいのは、前提自体は、必ずしも、論理的に決まるものではないということです。多くの場合、前提はその時の気分や好みといった感情的なものに左右されるものです。論理的に話し合うことは、確かに重要なのですが、その根本にあるのは、実は、感情なのです。

この感情ですが、どこか悪いもののように考えている人がいますが、決してそんなことはありません。確かに、話し合いの場で、感情をむき出しにするのは好ましくはないでしょうが、人間というものは、えてして、感情で動く生き物です。

感情が動機であることはごく自然なことと言えるでしょう。にもかかわらず、感情による動機付けをどこかネガティブに捉えてしまう人がいます。感情による動機付けをネガティブに捉えてしまうと、人はそれを隠そうとします。前提が見えにくくなるというのは、それに起因しているのかもしれませんね。ですから、前提を確認する時は、相手の言動から、何を元にそうしているのかを察することが求められます。次の例をご覧下さい。

3月も終わりを迎えるこの季節。休みの日に夫婦でお出かけの相談をしているとします。夫は「のんびり温泉に行こう」と言います。妻の主張は「トレッキングがしたい」です。

ここでありがちなのは相手の主張のマイナス部分をあげつらうことです。でも、話し合う上では、それはあまり好ましいことではありません。なぜなら、生産的な結果に繋がりにくいからです。

人にはそれぞれ欲求というものがあります。互いの主張は、その欲求の表れです。それについていくらマイナス部分を指摘しても、その欲求自体が変わるわけではありません。従って、折り合いをつけることが難しいだけでなく、「私を拒絶し、自分のことしか考えない勝手な人」という印象を持たれかねないのです。何事もネガティブなことばかり言う人に魅力的な人はいませんよね?

まあお互いの言い分は様々でしょう。妻の側は「温泉なんていつでも行ける。元気に歩ける歳も限られてるんだから、今の内に体を動かすレジャーを楽しみたい」とか、「歩くのが何よりも体に良いって言ってたよ。山の中での森林浴も兼ねてできるんだから、ストレス解消にはもってこい」だとか「暖かくなってきたこのシーズンだからこそ、トレッキングには最高」なんて言うかもしれませんね。

夫側からすると、「山歩きなんて、まだまだ寒いよ。体に良いってんなら温泉だって体に良い」とか「これから徐々に暑くなっていくと、温泉に入る気分でもなくなってくる。だから、次のシーズンである11月になる前に最後に行っておきたい」と言うかもしれません。

ここから折り合いをつけていくために、様々な条件が考慮されることになるでしょう。費用面の問題、場所の問題、所要時間の問題など。なかなかうまくいかないかもしれませんが、その過程で、相手の主張を拒絶するだけでは何も意味がありません。夫からすれば、「歩くことの何が楽しいんだか…そんなに歩きたいんから飼っている犬の日課の散歩代わってくれよ」と思うかもしれませんし、妻からすると「そんなにお風呂に入りたければ家のお風呂に好きなだけ入ってなさいよ」なんて思うかもしれません。しかし、それでは話し合いは平行線を辿るだけで、生産的とは言えません。生産的な話し合いをするためには、お互いへの理解が求められるのです。

相互理解のために大切なのは、お互いの主張とその論理構造を確認することではなく、お互いの前提を確認すること。この例に登場する夫は、日頃の営業の仕事で、歩き疲れてヘトヘトの毎日を送っているのかもしれません。だとすれば、そもそも休日には文字通り休みたいと思うのが道理。一方、妻は専業主婦で外出する機会も少なく、そもそも休日には外に出て体を動かしたいと思っているかもしれません。

そう考えると、二人の主張は、どちらが正しいというものではなく、単に、前提が違うだけの話なのです。前提が異なっていれば、論理は意味をなさなくなります。 論理的な思考や主張は、規定され、受け入れられた前提を元に、理由や根拠付けを行い、筋道立てて展開されるものです。従って、前提が違うと、正しさの基準は崩壊し、論理は客観性を保証するという力を失ってしまうのです。

もちろん、どのような前提に立って物事を捉えるべきか、ということに関して議論を尽くすことも大事でしょう。しかし、人間は感情的な生き物。その動機となる前提は、感情によって決まることがほとんど。それ故、否定することが難しく、大抵、譲れないものとして、人の心に根ざしていることが多いのです。

だから、大切なのは、まずお互いの前提を確認すること。この場合ですと、夫側の「休日にまで歩きたくない・休みたい」という前提となる欲求を、妻側の「外に出て体を動かしたい」という前提となる欲求を確認するということです。その上で、可能であれば、双方の欲求を満たせるような策を考えれば良い。場合によっては、温泉にも入れて、トレッキングもできるようなところ(例えば、猿ヶ京など)へ行くということも考えられます。

気を付けていただきたいのですが、〔前提を確認し、受け入れる〕ということと、〔前提を含む相手の主張をそのまま受け入れる〕ということは全くの別物です。〔前提を受け入れる〕というのは、 「ある前提に立った場合、筋道立てて考えると、その主張は正しいかどうか」を確認するために行うことです。

ですから、「生理的にムリ」とか「理解できない」といって、はなから拒絶するのではなく、その前提を一旦受け入れた上で、主張へと至る道筋を確かめるのが目的なのです。そこに間違いがあれば、正せばいい。そうでなければ、正しいとした上で、その主張を受け入れるかどうかを選べばいいのです。

また、話し合いで重要なこととして、「お互いの考え方、価値観の違いを理解し、受け入れる」なんてことが書かれている場合が多いですが、これだけは大きな間違いです。そんなことが可能であるならば、話し合いなんて、そもそも必要ではありません。それができないから「どうしようか」と相談するわけです。価値観は、気分や好みといった感情で決まります。それ故、変わることもあるでしょうが、変えられないものもあるのです。

重要なのは、お互いの考え方、価値観の違いがどこにあるのか理解して、双方の(場合によっては複数の)意見を昇華させることなのです。

言葉を受け入れる

最後に、言葉を受け入れる、です。言葉の遣い方も人それぞれですから、どのような意味でその言葉を遣っているのかを推し量る必要があるのです。

言葉には幅や奥行きがあります。同じ青と言っても、様々な色があります。これが言葉の持つです。同様に、数と言っても、偶数や奇数もありますし、偶数と言っても、2も4も6もある。これが言葉の持つ奥行きです。

ただでさえ、言葉にはこのような幅や奥行きがあるのですから、その意味を一意的に受け取ることは難しい場合もあるのです。それが、個人の遣い方の違いを加味すると、言わずもがな。私も、経験上、「そんなつもりで言ってるわけじゃないのに」と誤解を招くことがあります。

例えば、「変わってる」という表現を考えてみます。この言葉には、プラスの意味も、マイナスの意味も含まれています。人によっては「 ユニークで面白い」という意味で用いる場合もあるでしょうし、「 協調性がない」という意味で用いる場合もあるでしょう。しかし、その意味は、あくまで、用いられる文脈であったり、そう表現する人の価値観に基づいているため、一意的に受け取ることはできません。

ここで、話し合いに向いていない人は、自分の背景にある言語文化を基に解釈をします。「変わってるね」と言われて、「協調性がない」という意味でしか、用いてこなかった人は、自身の言語文化に基づいて、マイナスの意味でしか受け取ろうとしない。そして、勝手に目くじらを立てます。

これがどれほど危険なことかはおわかりですね?もちろん、用いる方にも細心の注意が必要です。しかし、それ以上に、受け取る側が、「この人はどのような意味でそう表現しているのだろう?」と慮ることが大事なのです。いわば、思いやり、ですね。

なぜ、受け取り側が配慮しなければならないのか、理由もあります。表現者は受け取り側の言語文化を知らない場合があります。譬え、どれほど旧知の間柄であっても。人間相手ですから、その人のことを100%知ることなどできません。

ですから、余程のことでない限りは、誤解を招きかねない表現を用いることもあります。それができないと言うのであれば、まともに話すことなどできません。どのような表現が、誤解を招きかねない表現かは相手の言語文化によるところが大きいからです。

話すことができないのにコミュニケーションを図ることはできませんよね?だから、極力、 受け取る側が表現者の意図を汲み取る配慮をしなければならないのです。これが、言葉を受け入れる、ということです。

 

まとめ

それではまとめてみましょう。

生産的な話し合いとは

共有できる目的や指針が得られる

無駄に時間をかけない

話し合っている大切な人のことを、より深く知ることができる

この3つの条件を満たすものです。

 

生産的な話し合いにおける2つの大切なポイントとは

論理的であること

受け入れること

この2つが、大切なポイントです。

 

生産的な話し合いのために、何を受け入れるのか

主に、3つです。

論理を受け入れる

前提を受け入れる

言葉を受け入れる

 

論理を受け入れるとは

話し合いとは、あくまで、 双方ができる限り納得するためのものです。そのためには、伝えたいことを、筋道立ててはっきりと伝えるようにしましょう。その際、自分の主張に対する理由付けや根拠付けを忘れずに。そうすることで、生産的な話し合いが行われるようになります。

前提を受け入れるとは

前提とは、 論理という構造において、すべての元となる、根幹をなす重要なものです。まずは、どのような前提を元に主張がなされているのかを確認するよう努めて下さい。そうすることで、お互いが論理的な間違いをおかしていないか確認することができます。

また、前提は隠されていることもあります前提を確認し、きちんと受け入れることが重要です。でなければ、論理的に間違っているかどうかを確認することもできません。前提を受け入れず、ただ拒絶するだけでは何も生まれません。それどころか、関係が破綻することも考えられます。ですから、まずは受け入れましょう。

前提を受け入れて、考えた末に、前提を含めた相手側の主張を受け入れるかどうかを決めれば良いのです。相手の論理構造における前提を受け入れることと、相手の主張や意見を受け入れることとは別問題です。

また、「お互いの考え方、価値観の違いを理解し、受け入れる」なんてことが、一般論として、言われたりもしますが、これは大きな間違いです。そんなことができれば、話し合いなんていりません。

相手の価値観を全面的に受け入れられないからこそ、双方の価値観を昇華させる必要があるのです。そのために、生産的な話し合いが求められるのです。

言葉を受け入れるとは

言葉の意味は一意的に決められるものではありません。ですから、なるべく受け取る側が、その真意を捉えるよう配慮する必要があります。相手に対する思いやりをもって、解釈するよう努めましょう。

以上が、生産的な話し合いのための重要なポイントです。特に、「論理的であること」と「前提を受け入れること」に関しては、大きな誤解が生じやすいので、お気をつけ下さい。後は、理解を示そうとする態度で、相手に対する思いやりを忘れなければ、話し合いは生産的なものになるでしょう。

by    tetsu