近年、根性論が否定される風潮にあります。
確かに、根性論のせいで体や精神を壊してしまった人も多くいました。例えば、高校野球における投げ込みの過多で肘や肩を壊してしまったりとか過重労働によりうつ病になってしまったりね。そう考えると、根性論は人を不幸にしてきたと言えるでしょう。
とはいえ、根性を全て否定することが出来ないのも事実です。というわけで、今回は「根性論」の意味と根性論が通用しない理由を説明し、最後にそれでも根性は大切だという理由について解説したいと思います。
目次
根性論の意味は?
根性論の意味を辞書で調べてみると次のようにありました。
強い精神力があれば、何事も成し遂げられるとする考え方。
引用:小学館 デジタル大辞林
もう少し平易に表現すれば、「やる気があれば何でもできる」とも表現できるでしょうか?
つまり、根性論は「精神力次第で世の中の全てのものをコントロールできる」という考え方に基づいているわけです。あまりにも傲慢で自己中心的な考え方ですよね…
根性論が万人に通用しない理由
根性論が通用しないのは、精神力だけで全てが解決できると考えている点にあります。そのため、努力の方法については全く触れていません。本当はそっちのほうが大切なんだけどね…
林修先生の名言に「正しい場所で、正しい方向で、充分な量なされた努力は報われる」というものがあります。本当にその通りで、根性を出す分野や根性の出し方が間違っていれば、どれだけの精神力があっても成功にしません。
もし、仮に成功したとしてもそれは再現性のない成功です。遅かれ早かれメッキが剝がれることになるでしょう。
例えで考えてみる
例えば、砂漠のど真ん中で迷子になり、帰り道が分からなくなりました。しかし、自分自身が北の方角から来たことは分かっていました。あなたならどうしますか?
根っからの根性論者なら一つの方向にずっと歩き続ければきっと砂漠を抜け出せると言うでしょう。確かにそうですが、下手をすると干からびてしまいます。
しかし、世の中で声が大きいのはもちろん、運よく生還した人です。だから、俺は一つの方向に歩き続けてきたから成功したんだと豪語するわけです。ただただ、運が良かったのだけにかかわらずね…
一方で、知識のある方なら太陽の動きから方角を割り出し、北に歩き出すことでしょう。そうすれば、確実に砂漠から抜け出すことが出来ますからね。個人的には、このような考え方のプロセスを知識のない人に教えるのが教育だとおもうんですけどね…
このように根性論は精神力を重視しすぎて、努力の方向に注目していないわけです。その結果、役に立たない努力をすることになり、体や精神を壊してしまうことになります。
それでも根性が重要な理由
先ほど「正しい場所で、正しい方向で、充分な量なされた努力は報われる」という名言を紹介しましたが、この文中にある「十分な量なされた努力」には根性が必要です。
例えば、プロ野球選手になれる才能があり、自分を導いてくれる優れた指導者にも出会えたとします。それでも、人並外れた努力が必要なことに変わりはありません。もし、根性の無い人間なら途中で挫折してしまい、自分の才能を腐らせてしまうことでしょう。
これらのことから分かるように、根性は成功のための十分条件ではなく必要条件ということです。ですから、根性を完全に否定することはできません。
まとめ
- 根性論の意味とその問題点とは?
精神力さえあれば、何事でも成し遂げられるという考え方のこと。そのため、精神力万能主義ともいえるかもしれません。その問題点は、努力の方法を考えない点です。努力が実を結ぶには、正しい方向の努力が必要なのに、根性論はその点を全く考えていません。 - それでも、根性は大切なの?
根性は大切です。なぜなら、根性は成功するための必要条件であるからです。正しい方向に努力していても、努力することは時として苦痛になります。そのような苦痛を乗り越える時に重要なのが根性なのです。
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