音楽のイメージ

雑記

名も知らぬ音楽

ピアノの音が鳴り響く。1つ1つの音を確かめるように、実にゆっくりと。ふとしたところで耳にする、その音の繋がりを、僕は知っている。途切れそうなほど、か細い糸で紡がれたかのようなその旋律を、僕は幾度となく耳にしてきた。でも、その曲の名を僕は知らない。

名前を思い出せないというのは、なかなかもどかしいもので、誰彼構わず訊いたことがある。メロディーを口ずさみながら、その曲の名を。でも、誰もわからなかった。時々、その旋律を思い出してはそんなやり取りを繰り返す。気付けば20年近くも経っていた。

メロディーを口ずさんでも伝わらなかったので、曲のイメージを伝えてみようとしたこともある。やはり、伝わることはなかったけれど。

〈近世ヨーロッパ。冬のロンドンの町並み。夜もふけ、町は眠りにつこうとしている。月明が煌々と照らす町並みは、うっすらと雪に覆われている。帽子を被り、外套を纏った紳士が独り、俯き加減で歩いている。宙空に置き去りにされた白い吐息は、勝手気ままに霧散していく。雪上に刻まれた足跡だけが、彼の存在を確かなものにしているが、それも降り積もる雪の中へと消えていくだろう。鼠が音もなく月明かりの中を横切り、犬が地面の匂いを嗅ぎ続けている。

やがて、通りには誰もいなくなる。ところどころに灯っていた窓の灯りも、1つ、また1つと消えていき、すべての命が休息をとる。しんしんと降る雪が、人々の足跡を、馬車の轍を、あらゆるものの痕跡を覆い隠していく。まるで、それらのものが、初めから存在していなかったかのように。

一枚の静止画のように、時間までもが凍りついた町の情景。そこに、あの曲が静かに流れ出す。舞い落ちる雪のテンポに合わせて、ゆっくりと音が紡がれていく。〉

そんなイメージを持っていた。あの曲を耳にする度に、いつも同じ情景が脳裏に浮かんだ。後に、その曲が、エリック・サティの作曲した『ジムノペディ』であることを知る。

 


音楽のイメージ

アラベスク

音楽にはイメージがある。バッハの無伴奏チェロ組曲は清々しくもひっそりとした朝の森を、同じくアヴェ・マリアは蒼穹に広がる淡い光を、サティのジムノペディはある町の(恐らく、実在しないであろう)雪の情景を思い描かせるように。それは決まっていつも同じものだった。でも、それはどうやら個人に特有のものらしい。僕は、まだジムノペディがそれとは知らなかった頃、いろんな人にメロディーやら、そうしたイメージを伝えてみた。それでも、誰にもわからなかった。それは、きっと客観的に、あるいは必然的に繋がり合うものではなく、主観的な感覚的認識に過ぎないのかもしれない。

驚くべきことに、曲とイメージとの繋がりは、譬えそうした認識が個人的にしか経験されないものだとしても、その曲特有のものだとばかり思っていた。でも、違った。同じ曲でも、奏でる楽器の種類や、演奏の仕方で、そのイメージはがらりと変わるのだ。

例えば、ドビュッシーの『アラベスク』の第一番は、水のイメージを持っている(あくまで個人の感覚的認識だが)。しかし、同じ水でも、早弾きのものは山峡に流れる清流を、オリジナルのものは滾々と湧き出る清水を喚起させる。それほどまでに印象が違うのである。

上述したように、これは何も演奏スタイルだけに依るものではない。用いる楽器の音色によっても全く異なった印象を与える。ハープで奏でられたアラベスクを耳にした時、驚いた。それまでアラベスクは水を彷彿とさせるイメージを持つものと思っていた。でも、ハープで奏でられるアラベスクを耳にした瞬間、僕は空を見上げていた。

同じ蒼穹を喚起させるものでも、アヴェ・マリアとは趣が違う。アヴェ・マリアは、まるで天にも昇る気持ちで、すべてが淡い光に包まれていく。果てしない空をいつまでも昇っていく感覚だ。しかし、アラベスクを聴く時、イメージの中の僕は、確かに地に足をつけている。そして、青く、澄みきった空を見上げている。

すると、羽が、ひとひらの真白い羽が、風に吹かれることもなく、ゆっくりと落ちてくる。それ以外には、何もない。それが、何の羽かもわからない。大きくて、ふんわりと柔らかい。その空からの贈り物を両の掌で受け止めようとする。でも、手の中におさまろうとした瞬間、突然の風に煽られて、どこかへと飛んでいく。それが必然であるかのように。どこへ飛んでいくのかはわからない。ただ、羽の行く先を僕はいつまでも眺めていた。ひとしずくの寂寥感を心の片隅に湛えて。

これが、ハープで奏でられたアラベスクのイメージだ。正直、それほど音楽に通じていない僕が言うのも何だが、これほどまでに演奏スタイルや楽器によって、イメージが変わる曲を僕は知らない。同じドビュッシーでも、『夢』の方が好みなのだが、『アラベスク』ほどフレキシブルではない。

 

『夢』のイメージは、〈濃霧〉である。霧の立ちこめる廃墟群。赤煉瓦造りの朽ちた廃屋が至る所に点在している。名も知らぬ花が、傍らで物寂しげに揺れている。どこかで見覚えがあるその景色は、自分の故郷のなれの果てだった。どうして、こんなことになったのか。知る由もない。ただ、凋落の一途を辿った郷里が、今はまだ栄華を誇るはずの郷里が、目の前にある。それは眠っているだけのようにも見える。でも、きっとそうじゃない。もう目を覚ますことはないだろう。

ただ独り、時空の果てに置き去りにされたような、あるいは、これまで見ていたものが幻だったかのような。無常観にも似ているが、やはり違う。もっと、朧気で不確かなものだ。胡蝶の夢のような、やわらかい恐怖感がそこにはある。「夢」とはよく言ったものだ。

この恐怖感に身を委ねるのが、好きだ。朧気で、不確かで、儚気で。それでいて、どこか甘い感覚がある。そんな『夢』を聴いていると、すべてを忘れられる。このイメージは、アラベスクのように変わるものではない、と思っている。

音楽は、聴く心理状態や状況によって、違う顔を見せる。それ以上に、演奏スタイルや楽器によっても受け取り方が変わるものがあるということも知った。華やかさか一途さか、それぞれの良さがあるけれど、本当に音楽って不思議だなって思い知らされるね。

 

 

by    tetsu