わかりやすい文章の書き方、身につけ方―作文、小論文、レポート、ブログ…すべてに通じる!

文章を読み書きすることの重要性

様々な人生の段階で、私たちは文章を書くことを求められます。小学校から中学校では作文を。それに加えて、高校では小論文を。大学に至っては、レポートや卒業論文、就活のための履歴書やエントリーシートを。社会人になっては計画書や報告書、昇進試験を受ける場合の論文などを。こういったことがうまくこなせないと、しかられたり、落第したりといった不利益を被ることになりかねません

一方で、数学や化学、あるいは、社会や英語などの勉強科目はそういうわけではありません。文系に進めば、専門的な数学や化学とはおさらばできますし、社会や英語もできなくたって大した問題は生じません。そう考えると、文章を書くということが、どれほど重要なことかはおわかりいただけると思います。文章を書くということは避けては通れない道なのです。

当然ですが、文章を読むということについても、同じことが言えます。契約書を取り交わしたり、説明書を読んだりする場合、読む力がなくては理解することができません。そこに書いてあることが理解できなければ、不平等な契約によって損をすることもあります。説明書通りに正しく物を扱わないと、ケガをしたり物が壊れたりする場合もあるでしょう。文章がきちんと読めないということは、多大な損害につながる恐れがあるのです。

このように、文章を読み書きすることはとても重要なことなのです。にも関わらず、教育現場で徹底して教わることが少ないように思われます。なぜでしょう?

はっきりとした原因はわかりませんが、知識詰め込み型の教育方針がそのような傾向を生み出しているのかもしれません。学習塾や予備校においても、テストの点数という結果に直結したことが確認されづらいところに労力を費やすことは望ましくないのかもしれません。数少ない小論文という科目以外に、文章を書く力を直接点数化される科目はありませんしね。

点数に直接反映されなくても、 文章を読み書きすることがすべての土台となっていることは言うまでもありません。国語は言うに及ばず、英語も遣われている言語の種類が違うだけで、文章を読み書きすることには変わりありません。数学にしても、数的な記号で書かれた文章を扱うことに違いありませんし、物理や化学も実験に基づく文章が理解できなければ、問題に取り組むことさえできません。

だから、勉強においても(もちろん、他の社会活動や経済活動においても)文章を読み書きすることはとても重要な意味を持つのです。問題なのは、それほど重要な意味を持つ文章の読み書きを教わることが少ないということ。確かに、内定をもらうための履歴書の書き方やエントリーシートの書き方、あるいは、受験に合格するための医療系小論文の書き方といった特定の文章の書き方を指導するところはあります。ところが、あらゆるものの土台となる文章の書き方自体について教えられることはあまりありません。ですから、ここでは、わかりやすい文章を書くための大事な事柄についてまとめてみようと思います。

 


わかりやすい文章の身につけ方

文章に馴れよう

大学院での研究生活、十数年間に渡る塾や予備校での作文や小論文の受験指導、あるいは、卒業論文の書き方を指導してきた経験から言えることがあります。それは、文章を書くために皆、悪戦苦闘していること。特に、わかりやすい文章を書くのは難しいという声も聞こえてきます。確かに文章を書き慣れていないと、書くのはなかなか容易ではありません。色んな生徒さんの文章を読んでいると、中には古代文字並みに解読不能なものも(手書きの字面や意味内容的に)ちらほら見受けられます。

文章を読んだり、書いたりするのが苦手と言う人が多いのは、単に読み書きに慣れていないからというのが主な理由でしょう。数学でも指導範囲が文章題に及ぶと、テストの点数が下がる傾向にあるのはこのためだと思われます。ですが、日頃から文章に馴れている人は、文章題に苦しめられることはありません。当然と言えば当然ですが、入試における小論文や、大学卒業のための卒業論文においても同じことが言えます。

文章に馴れると言っても、単に本をたくさん読めば良いのかと言われると、そういうわけではありません。もちろん、文章に馴れるためにも本を読むことは大切な事です。しかし、読むだけでは文章力はつきません。大事なのは、自分で書くということ。料理番組を見たり、料理本を読んでいるだけでは料理の腕前は上達しませんね?自分で手と頭を使って、実際に料理を作らなければ、料理は上手にならないのです。

文章に馴れるというのは、文章を身近に感じることです。そのためには、文章を読むのはもちろんのことながら、書くことにも慣れなければいけません。書いたことのない人にとっては、はじめは少しつらいかもしれません。それは筋トレに似ています。はじめはつらいかもしれませんが、繰り返し行うことで確実に身についていきます。

 

アウトプットを重点的に

知識詰め込み型の教育が見直されてきています。なぜか? 自分で考えて、知識を応用し、自ら行動するという主体性のある人材が育ちにくいとされるからです。文科省の掲げる学習指導要領「生きる力」には、主体性のある人間教育のための学力の重要な3つの要素の育成が掲げられています。

● 基礎的な知識・技能をしっかりと身に付けさせます
● 知識・技能を活用し、自ら考え、判断し、表現する力をはぐくみます
● 学習に取り組む意欲を養います

(https://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/new-cs/idea/1304378.htmより引用)

 

自ら考え、判断し、行動するという主体性ある人材が社会的に求められているのです。

何かを学ぶ際にも、この主体性は大きな意味を持ちます。自分で考えて、知識を応用し、行動する過程で、人は自分がこれまで得た知識をアウトプットします。このアウトプットがとても重要なのです。

何かを勉強すると言えば、本を読んだり知識詰め込み型のインプットを重点的に考える人がいるかもしれません。ですが、繰り返しアウトプットをしなければ、知識は定着しにくい傾向があります。例えば、英会話でも、どれほどフレーズを暗記したとしても、英会話ができるようになるわけではありません。英会話の実践の中で、実際にフレーズをアウトプットすることによって活きた知識として身についていくのです。だから、英会話の本だけではなく、アウトプットができる実践の場として英会話教室が数多くあるのです。

だから、文章に馴れるためには、文章を書き慣れて下さい。短いものでも構わないので、繰り返しアウトプットすることが大事です。書き慣れてくると、読む時にも意識の変化が感じられるようになります。ある程度書き慣れてから文章を読んでいると、「人にわかりやすく伝えるためにはこういう風に言うんだ」とか、「こんな表現を使うんだ」といったことにも目がいくようになります。書く側の意識で読んでいる(見ている)わけだから、その凄さがわかる。勉強になることが多い。だから、インプットの質も良く、量も多くなる。自分に足りない部分が見えてくるから、学習効率も良くなってくるわけです。

でも、良書ばかり読む必要はありません。逆に、わかりにくい文章を読むことも大切です。「ああ、この文章はこんな書き方をしてるから伝わりにくくなっているんだな」とか、「自分ならこう表現するけどな」とか、なぜわかりにくいのか、に目がいくようになります。

このように、文章を読み書きする場合には、自分ならどうするか、という主体性をもって、文章に触れるようにしましょう。その意識でアウトプットを繰り返していくと、自ずと文章力は上がっていきます。

 


わかりやすい文章とは

それでは、わかりやすい文章について述べていくことにします。 「わかりやすい」とは理解しやすいということです。だからといって、書かれた内容がやさしい文章かと言われると、必ずしもそういうわけではありません。

わかりやすさには2つのものがあります。1つ目が、 「内容のわかりやすさ」です。伝えたい内容をやさしい言葉で説明した文章は確かにわかりやすい文章と言えます。ですが、やさしい言葉だけでは説明のつかない事柄もあります。ある種の専門分野における文章などがそれに当てはまると言えるでしょう。

哲学書などを読むと、読み慣れていない人にとっては難しいと感じられるかもしれません。しかし、それは文章がわかりにくいのではなく、内容がわかりにくいというだけの話です。例えば、ヴィトゲンシュタインという哲学者の『論理哲学論考』という本は実にシンプルに書かれていて読みやすいです。が、専門的な用語を知らない人には、内容はいささか理解し難いものとなっているかもしれません。でも、その難しさは語彙レベルのものであって、文章自体がわかりにくいというわけではないのです。

だからといって、このような語彙レベルでわかりにくい文章をやさしい言葉だけで説明するのは不可能です。ですから、一般的にはわかりにくいとされる言葉で書かれた文章でも、言葉の意味をきちんとおさえると、実に読みやすい(わかりやすい)文章であることがおわかりいただけると思います。なぜなら、文章の構造がとてもシンプルだからです。この 「構造のシンプルさ」こそが、2つ目のわかりやすさなのです。

先ほど例に挙げた『論理哲学論考』は、文体が実にシンプルです。だから、わかりやすい。逆に、カントという哲学者の書いた『判断力批判』は『論理哲学論考』に比べると、構造は複雑になってます。原文のドイツ語で書かれたものなど1ページで1文なんてこともあるくらい。そういう意味では、『論理哲学論考』よりは読みにくい(わかりにくい)ものと感じられます(実際に読んだことのある私個人の意見ですが)。まあ、ドイツ語で書かれたものなので、英語で書かれたものよりははるかに構造は把握しやすいですけどね。

このように、わかりやすい文章には2つのわかりやすさがあります。わかりやすさと言えば、内容のわかりやすさに目が向けられがちですが、内容的なわかりやすさだけを目指しても仕方ありません(やさしい言葉で伝えようと努力することは大切かもしれませんが)。小学校1年生の教科書に書かれた内容と高校3年生の教科書に書かれた内容との間には、内容の難易度に隔たりがありますね?それと同じように、伝えようとする内容にも、わかりやすさの隔たりがあるものです。世の中の物事はそれほど単純ではありませんから。従って、わかりやすい文章を書くためには、構造的にわかりやすい文章を書くように心掛けることが重要となります。

 


わかりやすい文章の書き方

それでは構造的にわかりやすい文章の書き方をみていきましょう。

主語と述語

文の構造は、基本的には主語と述語によって成り立っています。伝えられる内容は「○○が××する(した)」とか「△△は□□だ」という形で表されることがほとんどです。ですから、文章を書く場合には、この主述関係(主語と述語の関係)を明確にする文を書く必要があります。これがしっかりと書かれていないと何が何やらさっぱりわからなくなります。

主語と述語はなるべく近くに

主述関係はわかりやすく書きましょう。あまりにも主語と述語の位置が離れていると主述関係が読み取りにくくなる場合があります。例えば、

「私は彼は優しい人だと思った。」

という文よりも、

「彼は優しい人だと、私は思った。」

と書かれている方が、「彼」という主語に対する「優しい」という述語の関係、あるいは、「私」という主語に対する「思った」という述語の関係が一目でわかるように表されていますね?これがもっと複雑な構造の文になると、見えにくくなることがあるので、なるべく主語と述語は直接結びつけられる位置に置くと、わかりやすくなります。

または、見た目にこの主述関係をわかりやすくするために、読点を活用する場合もあるでしょう。

「私は、彼は優しい人だ、と思った。」

このように書かれていれば、「私は思った」という文に「彼は優しい人だ」という文が挿入されていることが、一目でわかります。会話によってはその違いはわかりにくいかもしれませんが、目に見える形として、文で書かれてあれば、一目瞭然です。

主語ははっきりと

日本語では主語が省かれることがあります。「明日は晴れると思う。」という文があった場合、「思う」という述語に対する主語は何か?直接表現されてはいませんが、「私」です。他にも「地球温暖化の原因は二酸化炭素だと言われている。」という文の場合、そのように言っているのは誰か?日本語では直接的に表現されてはいません。これが英語だと、“They  say  that…”のように“They”という主語が置かれます。

(“It  is  said  that…”のように“It”という主語が書かれる場合もあります。)

しかし、いくら主語が省略されやすい日本語とはいえ、文を書く場合には、きちんと主語を書くことがわかりやすさにつながります。例えば、次の文をみてみましょう。

「彼は体調を崩してしまい、病院に行かなければならないのだが、どうしても外せない用事があるので、行くことができない。」

ここでは、いくつかの述語が書かれています。「体調を崩す」、「病院に行かなければならない」、「用事がある」、「行くことができない」。それでは、これらの述語に対する主語は何でしょう?字面だけを追うと、これらの述語に対する主語は「彼」とならなければなりません。ですが、場合によっては(会話などでは特に)、直接書かれていない「私」となることもありえます。

「彼は体調を崩してしまい、(私は彼と)病院に行かなければならないのだが、(私には)どうしても外せない用事があるので、(私は彼と)行くことができない。」

このように隠された主述関係がある場合には、文の意味ははじめのものとは異なったものとなります。ですが、たとえ、書く(話す)人間が、そのつもりで書いても(話しても)、はじめの文をみれば、主語は「彼」しか、ありえなくなります。正確に、伝えたいことがある場合には、きちんと主語を書くことが求められます。

ただ、いちいち主語を書いていると、読む(聞く)時に、少しわずらわしい感じもしますね。その時は、直接的に表現しなくても、主述関係を示す方法はあります。

「彼は体調を崩してしまい、病院に連れて行かなければならないのだが、私にはどうしても外せない用事があるので、一緒に行くことができない。」

このように赤字で書かれた言葉を補うだけで、それぞれの述語に対する主語が何なのかがわかるようになります。

代名詞を使って読みやすく

文章で繰り返し同じ表現を用いるのは、あまり良しとされません。

「のび太はしずかちゃんと口げんかをした。のび太はのび太が悪いとはわかっていたが、素直に謝ることができないでいた。」

この2つの文の場合、「のび太」という言葉が繰り返し3回も出てきますね。こういった文章は読み手に嫌われる傾向があります。そこで、主語などの繰り返し表現を避けるために出てくるのが、代名詞です。代名詞とは、名詞の代わりになる言葉です。「彼」、「彼女」、「それ」、「これ」などが代名詞にあたります。

代名詞を使って、先ほどの例文を読みやすい直してみましょう。

「のび太はしずかちゃんと口げんかをした。が悪いとはわかっていたが、素直に謝ることができないでいた。」

これで、「のび太」という重複表現は避けられました。ですが、これでは新たに、「彼」という代名詞が重なってしまいます。中高生の英語の和訳を指導しているとしばしば見かける文です。そこで、この部分も変えましょう。

「のび太はしずかちゃんと口げんかをした。彼は自分が悪いとはわかっていたが、素直に謝ることができないでいた。」

これで大丈夫。重複表現もなくなり、読みやすい文になりましたね。読みにくい文章を読むと、わかりにくいと思われることもあります。ですから、なるべく文章は(1つ1つの文単位でも)読みやすく書くことを心掛けましょう。

このように便利な代名詞ですが、使い方を間違えると、非常にわかりにくい文となるので、注意が必要です。

「歴史上、様々な哲学者がいた。プラトン、ハイデッガー、カント、ラッセル、サルトル、ベルクソン、デカルトなど。彼はその中でも数学を論理学に基礎付けようと試みた哲学者だった。」

さて、問題。「数学を論理学に基礎付けようと試みた哲学者」とは誰?

答えは、ラッセルなのですが、彼の書いた『プリンキピア・マテマティカ』、あるいは、彼自身について何も知らない人にはわかるわけがありません。

このように、たくさん出てきた名詞の代わりに代名詞を用いると、主述関係がわからなくなってしまいます。ですから、この場合は、きちんと「ラッセル」と書くようにしましょう。

なるべく簡潔に

当然ですが、文は長く、複雑になると、わかりにくくなる傾向があります。ですから、適度に短く、主述関係がわかりやすくなるように、なるべく簡潔に書くことが大切です。

「今朝起きると、雨が降っていて、前から楽しみにしていた遠足が中止になって落ち込んで、うらめしげに照る照る坊主を見ながら、遠足用のおやつをひとりで食べた。」

長ったらしいですね。こういうのを冗漫な文と言いますが、読み手(聞き手)としては情報が頭に入ってきづらくなります。だから、文をシンプルに区切っていきましょう。

「今朝起きた。雨が降っていた。前から楽しみにしていた遠足が中止になった。僕は落ち込んだ。うらめしげに照る照る坊主を見た。ひとりで遠足用のおやつを食べた。」

何だかカタコトの日本語になっちゃいましたね。でも、情報を頭に入れるという意味では、伝わりやすくはなりました。整理して、けることで、かりやすくなったのです。「わける」ことが「わかる」ことにつながっていくのです。

とは言え、このままではあまりにお粗末。もう少し整理しなければいけません。そのためには接続詞を使って、文と文との関係を表すと、よりわかりやすくなります。

 

文と文とのつながり

接続詞

それぞれの文を理解したところで、書かれた文章が理解できるわけではありません。部分的なことだけが理解できても全体的なことが理解できるわけではありませんよね?それと同じで、文と文とのなつながりが理解できて(それぞれの関係がわかって)はじめて文章という全体が理解できるのです。

先ほどの例文で考えてみましょう。

「今朝起きる、雨が降っていた。そのため、前から楽しみにしていた遠足が中止になった。僕は落ち込んだ。だから、うらめしげに照る照る坊主を見ながら、ひとりで遠足用のおやつを食べた。」

カタコトのような例文に、冗漫にならないように1つの文に主述関係を2つ入れるくらいにおさえながら、接続詞でつなげました。これで、標準的な文章に仕上がりましたね。

接続詞(厳密には接続助詞を含む)でつなげることによって、それぞれの文の関係が整理されました。「雨」という原因で「遠足が中止」になったこと。「遠足が中止」になったことで、「落ち込んだ」こと。「落ち込んだ」ことを理由に「うらめしげに照る照る坊主を見た」こと。「照る照る坊主を見た」のと同時に、「おやつを食べた」こと。こうして、全体像が浮き彫りになります。それを受け入れてはじめて文章の伝える情報が理解できたと言えるのです。だから、自分が文章を書く際には、読み手が全体像を理解できるように、意識して、文章を書かなければならないのです。

主語は受け継ぐ

日本語ですから、主語が省略して書かれる(話される)場合もあります。確かに省略しても構わないのですが、あくまで読み手が主述関係を見失わないようにしなければなりません

「のび太はしずかちゃんと口げんかをした。自分が悪いとはわかっていたが、素直に謝ることができないでいた。」

こんな文があった場合、「悪いとはわかっていた」のは誰か?「素直に謝ることができないでいた」のは誰か?もちろん、のび太でなくてはなりません。この述語に対する主語が、しずかちゃんのつもりで書いたのだとしたら、極めてわかりにくい文だと言わざるをえません。これは代名詞についても言えることです。

「のび太はしずかちゃんと仲直りした。彼女は笑顔を取り戻した。」

このような文があった場合、ここでいう「彼女」とは、しずかちゃんを示しています。なぜなら、「彼女」という代名詞が女性を表すからです。ですが、次の文ではどうでしょう?

「ジャイアンはもう歩けないのび太をおぶって歩いた。彼は意識を失いかけていた。」

「彼」という代名詞は男性を表します。ここではジャイアンとのび太という2人の男の子が登場しますが、この場合、「彼」はどちらを示しているのでしょう?答えは「ジャイアン」です。なぜなら、ある述語に対する主語が省略されている時、または明らかに一目でわからない時には、前の文の主述関係が受け継がれるという暗黙の了解があるのです。前の文の主語は「ジャイアン」でしたね?そして、次の文には、性別としてはどちらにも受け取られる「彼」という代名詞が出てきました。すると、この「彼」という主語は、前の文の主語である「ジャイアン」でなければならないのです。だから、意識を失いかけてでもあるけなくなったのび太をおぶってジャイアンは歩いていることになる。友情に厚い彼の勇姿が描かれているのです。この意識を失いかけているのが、のび太であるとしたら?この場合、「彼」とは書かずに、きちんと「のび太」と書かなければならないのです。でなければ、それぞれの文の主述関係は読み手には伝わりません。

「ジャイアンはもう歩けないのび太をおぶって歩いた。のび太は意識を失いかけていた。」

こうすると、それぞれの主述関係はわかりやすくなります。

文の主語が明らかに書かれていない場合、その前の文の主述関係は受け継がれるという決まりがあります。こういった暗黙の了解を知った上で、文章を書かなければ、わかりやすい文章を書くことはできないでしょう。

 


伝わりやすい文章の書き方

これまでは、構造的にわかりやすい文章の書き方の基礎を説明してきました。ここからは、 内容的にわかりやすい文章、つまり、伝わりやすい文章の書き方の説明をしていきます。

読み手を思いやる

伝わりやすい文章を書くために欠かせないことがあります。それは読み手を思いやること。読み手を思いやると言っても、読み手に情報を意図的に操作して都合の良い書き方をしたり、こびたり、相手の価値観に合わせた書き方をする、ということではありません読み手がわからないかもしれないということを、常に念頭に置きながら、文章を構成するということです。

と言っても、何も文章をイージーに書けと言っているわけではありません。一見、難しいとされる文章も、たいていは言葉遣いの難しさであって、それは言葉の意味さえわかれば何てことない場合が多いのです。もちろん、10歳くらいの子供に「主体的に行動せよ」などとは申しません。「自分で考えて、判断して、自分の体を使って、実際に動いてみようね」と言います。ですが、そういった特殊な場合を除けば、言葉の難しさを特別意識する必要はないと思います。それよりも、誤解を生じさせないような文章の構成の方が重要ではないでしょうか。

例えば、「コーヒーとココアとリンゴとバナナのミックスジュース」なんて注文があったとします。コーヒーとココアという飲み物を知っている人間からすると、「コーヒー」という飲み物、「ココア」という飲み物、「リンゴとバナナのミックスジュース」という飲み物の3つが求められていることが、一般的な感覚でわかります。ですが、それを知らない人間が字面だけを見ると、コーヒーもココアもリンゴもバナナも全部まぜた(おぞましい)ミックスジュースを作らないとも限りません。ですから、伝わりやすくするためには、「コーヒーとココア、それにリンゴとバナナのミックスジュース」といったように表現すれば良いのです。コーヒーとココアとミックスジュースを区別する(わける)ことでわかりやすくする。場合によってはそういった配慮が必要になります。こうした配慮が、内容の伝わりやすい文章の書き方へとつながっていくのです。

 

シンプルに伝えよう

文学的文章などを書く時を除いて、相手に何かを伝える時には、内容が伝わりやすいようにシンプルに文章を書くことが大切になります。そのために重要なのは、 言いたいことは1つにまとめるということ。仮に、言いたいことがいくつものある場合には(それでも2、3個にまとめた方が良いですが)、それを整理して伝えることが肝心です。つまり、自分の伝えたいことがきちんと相手にわかってもらえるように伝えることが大事なんです。

例えば、何人かと食事に行くために待ち合わせをしていたとしましょう。そこで、時間に遅れてしまうようなトラブルに巻き込まれたとします。その時、電話やメールで遅れるということを幹事に伝える時、どのように伝えれば良いでしょう?

「昨日夜更かししてたから眠くなってさぁ、少し仮眠取ろうとしたわけよ。目覚ましセットして。そしたら、目覚ましが壊れてて、慌てて家出て駅着いたら財布忘れてたことに気づいてさぁ~。取りに家戻ったら不審者が玄関の扉の鍵穴いじってるような仕草してて、思わず誰だって叫んだわけよ。声聞いて近所の人たちも出てきて、みんなで取り押さえようとしたらさぁ、俺のこと突き飛ばしてその不審者逃げていくわけよ。突き飛ばされたひょうしに、肩電柱に打ちつけてすんげぇ痛いわけ。そしたら近所のおばちゃんが救急車呼んで、警察まで呼んじゃって何か大事になってきてさ…」

あなたが幹事をしていて、こんな話を待ち合わせ時間ギリギリに聞いたらどうしますか?普通は「だから何?」となりますよね?というのも、何が言いたいのかが、話の内容だけでは伝わってこないからです。ですから、自分が遅れることを伝える時には

「すみませんが、遅れそうです。後からお店に向かいますので、先に皆さんでお店に向かって下さい。」

と伝えれば、良いのです。こうすれば「遅れてくる」ということが相手に伝わります。そうしたら、場合によって、「多少遅れてくるくらいなら皆で行った方が良いから、10分ほど待ちます」と幹事は判断するかもしれません。

「先にお店に向かって欲しい」と思うなら、先にその結論を述べた方が良いでしょう。

「先に皆さんでお店に向かって下さい。遅れそうなので、後から参ります。すみません。」

こうすれば、「先にお店に向かっていて欲しい」という気持ちが伝わりやすくなりますね。言いたいことはシンプルに、最初に伝える方が、相手にとってわかりやすくなるのです。

 

はっきりと伝えよう

自分が伝えたいこと(結論)は、相手にわかるように、はっきりと伝えなければなりません。日本には相手の気持ちを推し量るという美徳があります。ですが、わかりやすく相手に伝えるという意味では、あまりよろしくありません(個人的にはこのような美徳は好きですが)。

かつて、知り合いの外国の方が新幹線の中でイヤホンを使い音楽を聴いていると、他の乗客に注意されたようです。「音が漏れててうるさいよ」と。その時、彼は思ったそうです。“So  what?(だから何?)”と。

日本人ならば、「うるさい」と注意されれば、〈うるさい→静かにしろということ〉と繋がるのですが、外国の方では、〈うるさい→お気の毒に〉となるみたいです(もちろん、様々な方がいらっしゃるでしょうけど)。このように、相手にわかるように伝えようとするならば、はっきりと伝えようとする意識が重要になるのです。

もちろん、こういう場合だけではありません。例えば、体調を崩して、仕事を休まなければならないことを上司や職場仲間に伝える時にはどうすれば良いでしょう?「体調を崩してしまい病院に行かなければなりません」と伝えたところで、「だから何?」となるかもしれません。伝える側からすると、「体調を崩して病院に行くって言ってんだから、休むってことでしょ!こんな体調で仕事に出てこいってことかよ!」なんて気持ちになるかもしれません。わからなくもないのですが、相手からすると、「休むの?それとも遅れて来るの?」となりかねないのです。ですから、休むのであれば、その旨をはっきりと伝えることが肝心です。文章を書く時も、これと同じことが言えますね。文章を書く時にも、「伝わって当たり前」とか「忖度してよ」という意識で書くよりも、「私の言いたいことはこれです!」という意識で書くことが、伝わりやすさにつながるのです。

 


読みやすい文章の書き方

最後に読みやすい文章の書き方についてです。これはわかりやすい文章の書き方にも通じるところも多々ありますが、どちらかと言えば、主述関係の構造のわかりやすさよりも、全体的な構造に関するわかりやすさに重点を置いています

言葉の意味を明確に

読みやすい文章を書くためには、言葉の意味がすんなりと理解されなければなりません。と言っても、簡単な言葉だけ使えば良いということではありません。例えば、「忖度」という言葉を「相手の気持ちを汲んであげること、推し量ること」と説明的にする必要はありません。なぜなら、「忖度」という言葉は一般的な意味で用いられているからです。

ここでいう言葉の意味とは、 個人的な意味で用いている一般的ではない言葉の意味ということです。

例えば、「始原還元的思考」という言葉を用いたとしましょう。これは辞書で調べても出てきません。なぜなら、私が個人的に使う、つまり、一般的ではない言葉だからです。そんな特殊な言葉が出てきても、普通は頭が?だらけになります。何の説明もなく、そんな言葉が出てくる文章が果たして読みやすいと言えるでしょうか?言えませんね?文章を読み進めても、意味がわからないから、ずっとモヤモヤしたまま読み進めることになります。理解できないから、時にはなかなか前へ進めることができないこともあるでしょう。では、このモヤモヤはどうやって解消するべきか?簡単なことですが、最初に説明すれば良いのです。

「初心を忘れないことが大切と言われるように、 そもそも物事がどのように成り立っているのか、本来どのようであったかを考えることも大切なことだ。そのように始まりにまでさかのぼって、物事を当てはめて考える始原還元的思考は哲学にとっては欠かせないものである。」

こんな説明が書かれてあれば、「ああ、始原還元的思考ってのはこういう意味なんだな」ということがわかります。意味がわかれば、読み進めていくことができるわけです。ですから、特殊な意味で用いていると思われる言葉には、説明を与えましょう。

 

構成を決める

読みやすい文章とは、構成がしっかりとしていることが多いです。この段落には何が書かれていのか?結論はどこにあるのか?根拠はどこか?そういったことが、わかる文章は、実に読みやすいものとなります。どこに何があるのかがわかりやすいだけでなく、何のためにその文、あるいは、段落内容が書かれてあるのか、がわかるからです。散らかっている部屋よりも、きちんと整理整頓された部屋の方がどこに何があるかがわかりやすく、便利ですよね(散らかっている方がお好みの方もいらっしゃるでしょうけど)?きちんと構成が練られた論説文などの場合、日常的な描写が出できたら、「それは何の具体例として挙げているのか?」という疑問を念頭に置くことで、内容が頭に入ってきやすくなります。

逆に言えば、自分が文章を書く時は、段落ごとに内容をまとめた方が、読みやすい文章が書けるということです。例えば、ヨーロッパ旅行に行った体験を人に伝えるとしましょう。

先日、ヨーロッパ旅行に行ってきた。2週間かけて、イギリス、フランス、ドイツと廻ってきたよ。

最初の4日間はイギリスを満喫したんだ。夕焼けに染まるストーンヘンジはとてもきれいだった。神秘的な何かを感じずにはいられなかったよ。アイアンブリッジ峡谷の景観も見事だった。モンサンミッシェルの美しさも忘れられない。エトワール凱旋門の大きさにも驚かされた。カンタベリー大聖堂を見たことがあるかい?あれが1000年ほど昔に建てられたらなんて信じられないよ。

次に、フランスを訪れたんだけどね…

こんな文章が書かれていたら、読み手はどう思うでしょう?間違いなく、勘違いするか、混乱します。「モンサンミッシェル?エトワール凱旋門?それってフランスじゃない?」となります。イギリス旅行の書かれた段落内容にフランスが登場しました。何が何やらわかりません。場合によっては、「この人モンサンミッシェルと凱旋門がイギリスにあると勘違いしているのでは?」と思われたり、下手をすると、「ヨーロッパ旅行に行ったとか、嘘なんじゃないの?」とまで思われる可能性もあります。そうならないためには、イギリス旅行について書かれた段落には、イギリス旅行の内容だけでまとめるということが、必要最低限求められるでしょう。そこにフランスやドイツの旅行記をまぜると、読み手を混乱させることになります。

言うまでもなく、読みやすい文章はわかりやすさにつながります。読みやすい文章を書くためには、整頓された形で文章を書くことが重要になります。そのためには、全体の構成を、ある程度考えなくてはなりません

言いたいことはまとめられているか?理由や根拠は示されているか?具体例は?それらがわかりやすい流れで配置されているか?そういったことを書く前に、ある程度決める必要があります。建築物を建てたり、都市開発を行う場合でも、構造的な枠組みを決めますよね?場当たり的な考えでは、大阪の地下迷宮みたいなことになりかねないのです(大阪をけなしているわけではありません。大阪は人情味溢れる良いところです)。

 


まとめ

それでは、内容をまとめておきましょう。

文章をわかりやすく書いたり、きちんと読んだりすることはとても重要

文章に触れずして、社会的生活を送ることは困難です。いかなる人生の段階においても、文章をわかりやすく書いたり、内容をきちんと把握しながら読めなくてはなりません。そのためにも文章力を上げましょう。

わかりやすい文章の身につけ方

自分ならどう書くか、という主体性をもって、文章に触れること。そうすることで、文章を読む際にも、アウトプットを行えます。繰り返しアウトプットを行うことで、自然と力は身につくものです。そうやって、文章に馴れていくように心掛けて下さい。

 

わかりやすい文章とは

わかりやすい文章には、主に2つのものがあります。

1.内容的にわかりやすい文章

内容がやさしい文章のこと。これは、 一般的に簡単な言葉で平易な内容を表す文章です。わかりやすいという点においては望ましいのですが、世の中それほど単純ではありません。簡単には言い表せない事柄も、たくさんあります。もちろん、時には、単純な言葉でやさしく説明することも重要ですが、そういう表現力だけを培っても意味がありません

2.構造的にわかりやすい文章

複雑に書かれたものではなく、シンプルに書かれた文章のこと。これは 適度な長さの文で構成され、整理整頓された形でまとめられた文章です。わかりやすい文章を書く場合、目標とされるものです。

 

わかりやすい文章を書くためには

主述関係を明確にすること!文章によって表される情報の基本は、主語と述語によって構成されます。従って、 文章のわかりやすさとは、主述関係のわかりやすさとも言えます。わかりやすい文章を書くためには、 基本となる主述関係を明確にする必要があるのです。そのためには、主語と述語をなるべく近くに置いて、その関係をわかりやすくしたり、主語をはっきり書いたり、代名詞を用いて読みやすく簡潔に書いたりする工夫が求められます。

もう一つ重要なことがあります。それは各文のつながりを意識すること!文をまたいで、主語と述語がつながる場合があります。ですから、文と文との伝えようとする流れや関係に応じて接続詞を用いて、その流れや関係をわかりやすく表現するようにしましょう。また、基本的には、前の文の主述関係が、後ろの文に受け継がれるということも意識しておきましょう。

 

伝わりやすい文章を書くためには

伝わりやすい文章とは、 内容的にわかりやすい文章を意味します。と言っても、誰にもわかるような小学生レベルの文章のことではありません。 内容が入ってきやすい文章のことです。

伝わりやすい文章を書くためには、 はっきりと伝えようとする意志が重要です。そのためには直接的に内容を伝えることと、シンプルに伝えることが欠かせません。その上で、言葉のレベルだけではなく、構造的なレベルにおいても、「読み手がきちんと理解できるか?」ということに配慮しながら、書くことが大切なのです。

読んだ後に、読み手に「それで?何が言いたいの?」と言われることは望ましくありません。仮に言われたとしても、こういうことだよ、と即答する、まさにその内容を伝えるように努めましょう。そのためには、言いたいことはなるべく1つに絞っておくと良いです。もしも、伝えたいことが複数ある場合には、 はじめにその旨をまとめた形で伝えておくと、伝わりやすくなると思います。

 

読みやすい文章を書くためには

〈わかりやすく、伝わりやすい文章の書き方〉でみたように、比較的狭い範囲の構造を意識するだけでは不十分です。全体的な構造にも目を向けなければなりません

読みやすい文章とは、 各部分でまとめられた内容が、整頓された形で、関わり合っていることが見て取れる文章のことです。

読みやすい文章を書くためには、 スムーズに読み進められることが肝要です。そのためには、専門用語や、特殊で個人的な意味で使うわかりにくい言葉などがある場合には、はじめにその意味を説明しておくことも重要になります。

また、各段落で書かれる内容は、それぞれ1つにまとめて、どこにどう配意すればわかりやすくなるか、といったことに配慮するようにしましょう。 書く前に、このように全体的な構成を考えておくと、読みやすい文章が書けるようになります。

以上が、わかりやすい文章を書くための基礎となります。実は、よりわかりやすい文章書くためには、他にも重要なこと(論理的な物事の考え方)がありますが、あまりに長くなりすぎるため、ここでは割愛させていただきます。もし、興味のある方は論理的思考力養成の記事も参考にしていただければ幸いです。

by    tetsu