「意識の高い人」と「意識高い系の人」のたった一つの決定的な違い

昔は良い意味だったらしいけど、今や「意識高い系」と言えば悪口になりましたね。「言葉は生き物」とはよく言ったものです。時としては全く逆の意味になるんですからね。「貴様」という言葉もそうです。昔は文字通り尊敬の念を込めた言葉でしたが、近世後期(江戸時代後期)以降は現在用いられているような言葉の意味に変化しましたからね。

このように、言葉の意味は時代によって変化します。しかし、意識が高いこと自体に問題があるとは到底思えません。いつの時代だって、意識を高く持つことは良いことであるはずです。

というわけで、今回は、「意識が高い」という語の意味と「意識の高い人」と「意識高い系の人」の違いと判別法について説明します。

意識が高いとは?

意識の高い・低いを理解するためには、意識の意味について知らなければなりません。とはいえ、意識の意味にもいろんな意味があります。哲学における意識・医学における意識などなど…とりあえず、それらの意味は置いておいて、今回は本題にかかわる部分のみを紹介します。

日本語では、「ある物事について要求される注意を払っている」とか「考え方や取り組み方について努力が行われている」といったことを表す場合に、意識が高い(または低い)といった言い方が許される。たとえば公害や廃棄物などの問題についてよく勉強し、改善のために様々な行動や対策を行っている個人や集団を、環境問題についての意識が高い、などと表現する。

引用:「意識」(最終更新 2019年1月20日 (日) 03:41 UTCの版)『ウィキペディア日本語版』。

Wikipediaでは具体例として、環境問題が挙げられていますが、個人的には社会貢献活動に限られるようなことではないと思います。つまり、筋トレであれ、スポーツであれ、仕事であれ、学業であれ、なんでも自己または集団の向上のために行動していれば、意識が高いと言えます。

意識高い人と意識高い系の人の違いは?

その違いは手段が目的化しているか否かによって知ることが出来ます。

意識の高い人は目的の達成を第一義的なものとして考えています。その目標が高ければ高いほど、血反吐を吐くような努力をしなければなりません。それは、意識を高く持ち続けなければできないことです。つまり、意識の高い人にとって、意識を高く保つことは目的に達するための前提条件(≒手段)でしかないわけです。

一方で、意識高い系の人は手段が目的化しています。つまり、意識を高く持つこと自体が目的になっているわけです。つまり、努力している状態自体に満足していることになります。その上、他者承認欲求が強いケースが多く、SNS上でそれをアピールする傾向にあります。そのため、目的とするテーマもころころ変わります。そりゃ、流行りのものを扱った方が周囲から注目されやすいですし。

例えば、最近よく話題に上がるプラスチックごみ問題について考えてみましょう。この場合、意識の高い人はプラスチックごみを削減するという目的のために行動することになります。一方で、意識高い系の人はプラスチックごみの削減を目指し行動している私ってすごくないですか?ということをアピールするために行動します。

当然ながら、その行動は大きく変わります。意識の高い人は本気でプラスチックごみを無くそうと意気込むので、腐臭立ち込める排水溝にも躊躇なく入り込みごみを回収します。生分解性プラスチックの研究をしている人や企業に寄付をすることも厭わないでしょう。とにかく、プラスチックごみの削減という目的のために、自分が出来ることをやるんだという姿勢が見られます。

一方で、意識高い系の人は頑張っている姿勢を人に見せられれば十分です。twitter上でプラスチック問題を憂いてみたり、プラスチック製品を分別していること(人として当たり前の行為)をアピールしてみたりね。暑くも寒くもなく、臭いもない快適な教室の一室でセミナーを受けてみたりもするかもしれません。とにかく苦労することを好みません。たとえ、それが問題解決のために必要なアプローチであったとしてもね。なぜなら、目的がプラごみ問題の解決ではなく、環境問題に関心を寄せている自分自身の意識の高さをアピールすることなのですから。

意識の高い人と意識高い系の見分け方

泥臭いことに対する考え方

意識の高い人は泥臭いことを厭いません。というより、泥臭い努力なしに成功を収めることはできないのでしょう。会社内でもやっぱり出世した人の話を聞いてみると、泥臭い努力の連続でした。挨拶してくれない人に挨拶してもらえるまで、挨拶し続けるとかね。こんなこと意識高い系の人にはできないですよね?

360年間解けなかったフェルマーの最終定理を証明したアンドリュー・ワイルズは、世間との接触を断ち、7年間もの歳月を定理の証明に費やしたそうです。正真正銘の天才であっても、何かを成し遂げるためには地道な努力が必要というわけです。凡人ならより一層の泥臭い努力が必要となるんでしょうね。それでも、歴史に名を遺せるほどの成功を収めることはできないだろうけど…

努力を褒めてみたときの反応

一度慇懃無礼なほどに褒めてみるのも一つの手です。意識の高い人達の努力をほめても「何言ってんだ?なめてんのか?」という反応をします。だって、掲げた目的に対して努力をするなんて当然のことですからね。イチローに対して「毎日体のケアをするなんて、本当にすごいですね~」とあなたは言うことができますか?まぁ、言えませんよね…そりゃ、手を挙げてくださいと言われて手を挙げてみたら褒められたみたいなもんでしょうし…

つまり、意識の高い人は努力を褒められても喜びません。努力を当たり前のこととして認識していますからね。

一方で、意識高い系と呼ばれる人達は、他者承認欲求が強いので、自分の努力を褒められると非常に喜びます。先ほど説明したように、意識高い系の人の目的は「自分が努力していることを他人に認めてもらうこと」ですからね。そりゃ、目的を果たせれば嬉しいものですからね。

まとめ

  • 意識高いとは?
    ジャンルは問わず、自己または集団の向上のために行動していれば、意識高いと呼ぶことが出来ます。
  • 意識の高い人と意識高い系の違いは?
    手段が目的化しているか否かの違いです。意識の高く持つことは目的達成のための手段(≒前提条件)でしかありません。しかしながら、意識高い系の人々は意識を高く持つことまたは持っているように見せることを目的としています。つまり、意識高い系の人は手段が目的化していると言えます。
  • 意識の高い人と意識高い系の判別法は?
    泥臭いことに対する考え方」を聞いたり、「努力を褒めたときの反応」を確認してみるとすぐに分かります。本当に意識の高い人は、地道な行動を大切に考えており、努力を当然のこととみなしています。そのため、努力を褒められても喜びません。一方で、意識高い系の人は泥臭いことを非効率であると嫌い、慇懃無礼であっても自分の努力を褒められると大変に喜びます。