味音痴な人と舌の肥えている人はどちらが幸せなのでしょうか?
一般には、「なんでも美味しく感じるのは幸せ」や「舌が肥えると不幸せ」といったように、味音痴は肯定される傾向にあります。
しかし、私はそのように思いません。
なぜなら、味音痴にも味覚が鋭い人にもそれぞれにメリットがあるからです。
そこで、味音痴と味覚の鋭い人のどちらが幸せか?解説します。
目次
味音痴が幸せと言われる理由
味音痴は何でもおいしく食べられます。安物でも十分に満足できるのです。
そのため、100円のハンバーガーで満足できます。
つまり、コスパが良いわけです。
一方で、舌の肥えている人は美味しく食べられるものが限られます。
ブランド和牛・国産の野菜・高級小麦を使用した2000円のハンバーガーを食べなければ満足しないかもしれません。
それは、コスパが悪いですね。
コスパの観点から考えれば、味音痴のほうが幸せだといえます。
舌の肥えている人も実は幸せ?
それでは、舌の肥えている人は不幸なのでしょうか?
もちろん、そんなことはありません。舌が肥えているからこそ感じられる喜びがあります。
それは、全身に鳥肌が立つような感動です。
これは、芸術鑑賞能力に似たものがあります。
例えば、ピカソの絵に芸術性を感じられるどうか?です。芸術に対する造詣が深ければ、その絵のすばらしさに気づけます。しかし、芸術の知識がなければ、下手な絵にしか思えません。
これは、食についても同様です。グルメ舌があってこそ感じられる喜びもあるのです。
ですので、グルメ舌のほうが不幸という指摘は当たらないのです。
また、上記のプロセスを繰り返していれば、美食を通じた人間関係もでき、食を栄養摂取という枠で捉えるのではなく、人生を彩る要素に一つとして考えられるようになります。
ですから、舌の肥えている人は食を通じて人生を楽しめるのです。
結局どちらが幸せなのか?
私の答えとしては、舌が肥えていてかつ大衆料理も喜んで食べられる人です。
要は、グルメな人と味音痴な人の良いとこ取りをすればよいのです。
確かに、ラーメンやカレーなどの庶民的な食事も楽しみつつ、料亭の懐石料理にも舌鼓を打てたら幸せですもんね。
そうすれば、両方のメリットを享受することができるのですから。
自らを味音痴と称して、「味音痴は幸せなのだ」と思い込むのも悪いことではありません。しかし、味覚は後天的にも鍛えれるものです。
私も学生時代は、コーヒーなんて苦いだけの飲み物と思っていましたが、様々な産地・焙煎度の豆を飲み比べることにより、コーヒーの味がある程度わかるようになりました。
このように、味覚は鍛えられるものです。
皆さんもいろいろな食べ物を試して自分の味覚を養ってみてはいかがでしょうか?
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