危険なあおり運転について

円形脱毛症

親父がハゲた。年のせいじゃない。まあハゲてもおかしくない年齢なんだけど、どっちかって言ったら、その方が良かったのかもしれない。だって、自然にハゲると、基本的にバランス良くハゲられるじゃない?ところが、円形脱毛症ときたもんだ。だから、不自然。圧倒的に不自然。田畑のど真ん中に現れたミステリーサークル並みに不自然。

どっちかってぇと、髪の毛はフサフサだった。それが自慢なところもあった。でも、悲しいもんだ。フサフサだからこそ、目立つ。圧倒的ミステリーサークル。

実は、僕も一昔前にハゲたことがある。と言っても、僕の場合は頭髪じゃあない。ヒゲ。ヒゲがハゲた。てか、ハゲかけた。円形状に、メチャクチャ薄くなった。

ボク「大槻先生、やはりこのミステリーサークルもプラズマの仕業ですかね?」

大槻センセ「いやぁ~、さすがにこれはストレスのせいじゃないですか?」

てな感じで、大槻教授にも、きっと認められるくらいはハゲたと思う。まあ、普段は、剃ってたから気付かれなかったけど。「tetsuくんて本当、ストレスとかないよねぇ。自由気ままな感じだしぃ」なんて無礼なこと言われるくらい、ストレスレスに見られるけど、やっぱり本当にストレスレスな人間なんてこの世にいないよね。ええ、人間関係のストレスでハゲました。どうやら、親父もそうみたい。まあ、人間の悩みなんてのは、その大半が経済的問題か、人間関係って具合に相場は決まってるもんだ。

 


人間関係のストレス

人間関係におけるストレスの原因はだいたい同じようなものだ、と個人的には思う。「皆、自分の理想を他者に押し付けるから」だ。そんな簡単なことに気付くまで、随分と時間を要した。

今思えば、若い頃は(なに?今もまだ若いって?よせやぃ、今じゃもう「おじさん」て呼ばれる年齢に、いつの間にかなっちまったのさ)、こうあるべき、という理想を他人にも求めていた。他人との関係に呻吟する俺に向かって、弟子だった女に言われた言葉を今でも鮮明に覚えている。

「tetsuさんは他人に期待し過ぎなんですよ」

衝撃的だった。それまで俺が他人に求めていたのは、人として当然と思われることばかりだったからだ。公共の場では、他人様に迷惑がかかるような大騒ぎはしない。エレベーターやエスカレーター、階段や通路などで、他人様の通行の妨げにるように立ち止まって、譬え宴会終わりであろうとも、円陣を組まない。乗客がそれなりにいる電車やバスなどの公共交通機関の座席で足を組まない。信号が変わりそうな交差点に、前の車で詰まっているのに、無理に突っ込んで、結果、交差点のど真ん中に停車し、他の通路の車や人の通行の妨げになったりしないようにする。無駄なプライドは捨てろ!他人の足を引っ張るな!4~5人のいい大人が横並び一列になってダラダラ歩くな!スマホしながら歩いたり、車両の運転をするのをやめろ!他者を貶めることで、無駄なマウンティングを取ろうとするな!見かけで人を判断するな!

…はぁはぁ。

ね?どれもこれも人として当然のことでしょ?でもね、不思議なことにこんな幼稚園児に教えなきゃいけなさそうなことをできない大人がスゴく多いんです。最初は皆さん全然面白くもない冗談でやってんのかなって思ったもん。本当に、ビックリしたんだから!

何はともあれ、こういった経験に押し潰され、大人になっていった。良いか悪いかはさておき、いつの間にか俺は他人に期待することがなくなった。楽なもんよ?何も期待しないって。

親父は人一倍正義感が強い方だ。だから、人一倍人間関係に悩んだと思う。その結果が、頭のミステリーサークルだ。正直、かなりやさぐれて消耗してたもん。「考えられへん!○○すべきだろ!」ってよく愚痴ってたなぁ。言ってることは正しいんだけどね。

でも、この「すべき」「あるべき」ってのがくせ者でさ。結局、その内容は、その人の価値観によるんだよねぇ。だから、「○○べき」って言っても仕方ないのよ。だって言われる方は、きっとそう思ってないから。大半の人間からみても「○○べき」って言えそうなことでも、そう考えない人間もいるわけで。そして、そういう人間は改めようとしない人が多いのも事実で。だから、子どもを叱る時以外は、そういう期待を込めないことにしたの。だって、犬に論語を話して聞かせる?犬の耳なのに、馬耳東風だよ?

でもさ、世の中には色んな人がいるんだなぁって眺めてると、気持ちは楽よ。消耗しないし、頭にミステリーサークル出現させることもない。ただ、受け入れるだけ。人間てのは十人十色ですよ。生理的に受け入れることができないなら、近寄らなければいいじゃない。でも、きっと、これが難しいのかなぁ。

 


危険なあおり運転

あおり運転。最近、よく見聞きする言葉だ。どんだけ連呼するんだよってくらい繰り返しニュースになってるよね。変な話、流行語大賞ですよ、もはや。こんだけ言われて、厳罰化されるって言われてんのに、まだ危険なあおり運転する人っているんだね。蓋し、あおり運転する人間の心理ってのは、主に2つの事柄に縛られてるんだと思うんだ。

1つ目が、急ごうとする思い。まあわからなくもない。でも、やっぱり危ないよ。僕は基本的にマイペースだねって言われるんだけど、心のどこかで「急いだって仕方ない」って気持ちがあるから。どうしてそう思うかって?だって、明らかにリスクに見合わないよ?車間距離詰めて、あおったところで追突する危険性もある。あおられた人間が、反社会的勢力のメンバーだと(まあ、あおってる時点で、あおった方もある意味反社会的ですけどね)、無駄な揉め事を引き起こすことにも繋がりかねない。そうして事故や揉め事を引き起こすリスクと引き換えに、一体何分間を手に入れようと言うの?そんな危険を冒して手にした数分間で、どれだけ生産的なことができる?そんなリスクに見合わない数分間というリターンを手にすること考えるくらいなら、生活習慣を見直した方が良い。きっと、無駄にしてる数時間があるから。その時間を有効活用しようよ。そう言いたくなる。

似たような話でさ、信号が変わろうとする交差点に無理やり進入して、突っ込んで、交差点のど真ん中に停車せざるをえない車ってよく見かけるんだけど、これも無駄に急ごうとする思いに捕らわれた人間のすることだよね。他の車や通行人の妨げになるような、あれだけ迷惑な行為しといて手に入れられる時間て、せいぜい一分に満たないよね。ヒドい時なんて、全く進めず、結局信号が先に青に変わるなんてことも。何のために突っ込んだ?リスクとリターンのバランスよう考えてみ?て諭したくなるよね。

2つ目が、「○○べき」っていうある種独善的とも言える義務感を他人に押し付ける思い。正直、その思い、重い!確かに、どう考えたって「○○べき」って思ったり、言いたくなったりすることもある。でも、結局、できない人間にはできない。変な意味じゃなく、魚に肺呼吸しろって言っても無理な話。だから、それは「魚なんだからエラ呼吸するもんなんだ」って受け入れるしか仕方ない。

行動原理が受け入れられない人間には近付かなければいい。そっとしておこう。偶には触れ合うこともある。そんな時は、ツイてなかったくらいに思っておこう。同じ地球にこんだけの人々が生きてるんだから。ぶつかり合う可能性があるのは仕方ないんだ。

それでも我を通そうとすると、「○○べき」と「△△べき」っていう異なる「べき」がぶつかる。あんまり「べきべき」言ってると、その内心がベキベキに折れることになる。

色んな人がいるのが世の中ってもんだ。こないだも、高速道路を車で走ってると、左車線と追い越し車線を時速70kmにも満たない速度で併走してる車があった。渋滞してるわけでもなく、ガラガラなのに。そういう人たちには、自分が他人の邪魔になってるって意識なんて毛頭もないんだ。街中歩いててもそう。通路を平気で防ぐ輩。歩きスマホしながらダラダラ横並びで歩く「大人」たち。そん時は、「人様の邪魔になるからどこうか」とか、「アナタ1人で歩いてる道じゃないんだよ?同じ社会に生きる人間として、当たり前のことだけど、人のことも考えようか」とか、幼稚園児に教えるように諭したくもなる。

でも、話しても通じない場合もある。全てが話し合いで解決するなら、世の中はこんなにも問題で溢れてない。だから、そんな話の通じなさそうな異星人に遭遇したら、「○○べき!」なんて考えず、のんびり空でも眺めようや。そしたら、頭にミステリーサークル作るよりも、飛んでるUFOでも見つかるかもしれないよ?

by    tetsu