「人生に無駄なことはない」とは本当か?無駄なことと大切なこととの違い

人生に無駄なことはない?

「人生に無駄なことなんてない」なんて格言を、よく見聞きしますが、どうなんですかね?個人的には、同意しかねます。少し、言葉遊びをしますと、本当に無駄なことがないのなら、「無駄」という言葉自体が無駄になりますね?じゃあ、「無駄なことがない」という前提が間違っていることになる。従って、無駄なことはあるということが、背理法によって導き出されますね。まあ、これも一種の自己言及のパラドックスのようなものなので、それほど力があるとは思えません。それでは、話を元に戻しましょう。

「人生に無駄なことなんてない」そう言って慰められることもあるでしょう。夢に向かって、自分のしている努力が正しいかどうかわからないとき。自分にとって不都合な現状に押し潰されそうになるとき。すべては未来に繋がってるから。そう言われると、前向きに頑張れそうな気がします。それで心が救われる方もいらっしゃるでしょう。この点に関してだけは、この言葉の効用は認められます。

しかし、それでも私はこの言葉を肯定することができません。なぜなら、こうした類の言葉は、時には、正しくない努力人間の怠惰を増長させるリスクがあるからです。

「努力は報われる」/「努力は裏切らない」というのは本当だろうか?―適切な方法論について

何か設定した目標達成のための努力をするとしましょう。例えば、誰よりも速く100mを走りたいとします。そのためのトレーニングで、遠泳をしたり、腕立て伏せばかりしていて、100m走が速くなるでしょうか?同じ運動ならまだ可能性はあるかもしれません。極端な話、将棋ばかり指していては?ジグソーパズルばかりしていては?恐らく難しいと思います。

100mを速く走れるようになるためには、他の部位はもちろん、脚を鍛えることが必須になります。にもかかわらず、「無駄なことなんてない」といって、間違った力の使い方をしている現状を肯定しても何も始まりません。ある価値観に基づいて、あるいは、ある目標達成のために行動する場合には、無駄なことが生じうるのです。

尤も、そうしたある目標達成のためには無駄な努力も、「そうした無駄な努力がある」と知ることができるという意味では、人生においては、無駄ではないかもしれないかもしれませんが。これも、言葉遊び感が、若干否めませんが…

 


無駄なことと大切なこととの違い

何をするにしても、コツコツと地道に積み重ねるということは、とても重要なことです。筋トレも、SNSでの活動も、積み重ねれば、確実に成果が、目に見えて表れます。だから、成功したければ、コツコツと地道に続けるしかないのです。

コツコツと続けるには、勉強(情報のインプットとアウトプット)が重要になります。特に、学生時代には、周りが勉強するのもある程度当たり前という雰囲気がありますが、大人になると、なぜかそれがありません!ですから、必然的に、差がつきやすくなります!それが、成果となって、如実に表れるのです。つまり、大人になってからの勉強は、コスパが良いということ。

だったら、空いた時間に色んな勉強をして、スキルアップさせるなり、副業として何か作業をして、将来に備えるということが、とても有意義に思えます。そうした観点からすると、例えば、夜な夜な呑み歩いたり、歓楽街での遊びに興じることは、無駄なことのように思われます。

将来に備えるのであれば、健康面でも、経済面でも、あるいは、スキルアップの観点からも、コツコツと何かに取り組んでいる方が良い。呑み歩いても、快楽は束の間ですが、将来への投資ということで勉強したりすると、得られるものは収益や経験として、何倍にもなって返ってくることでしょう。そういう意味では、「無駄なこと」とは、 将来の成果に直結しないこと、「大切なこと」は、 将来的な成果に繋がることを意味するのです

 


無駄にしないこと

夜な夜な呑み歩く人間が、知り合いにいるのですが、どちらかと言うと、経済的にも時間的にも浪費して、「無駄なこと」してるなぁと思ってました。でも、あながちそうとも言えない状況になりまして。

彼の場合、色んなお店の常連になるんです。そして、店の中のお客さん老若男女問わず話しかけ、コミュニケーションを取ります。誰とでも仲良くなっちゃうんです。ここからが、ポイント。そこで知り合いになると、何でもかんでも仕事に結びつけてしまうんです。

はなから仕事に結びつけようという下心があって、接触しようとしているわけではありせん。彼自身は楽しんで、あくまで遊びの一環として、そうしているのです。でも、そこから何か仕事に繋がると思うやいなや、その人脈を活かしてあっと言う間にビジネスを成立させてしまうのです。そうなると、夜な夜な呑み歩いたり、遊んだりすることが「無駄なこと」とは言えなくなります。ちゃんと、成果に結び付けてますからね。だからと言って、すべてについて「無駄なことなんてない」と言い切ることはできません。成果に結び付かなければ、浪費に過ぎませんから。

もちろん、楽しみとしての遊びを否定する気はさらさらありません。適度な遊びは、心を充実させますし、息抜きも必要でしょう。しかし、必要以上の遊びは浪費につながり、将来に対する機会損失と言えます。

無駄なことがあるという気持ちに変わりはありませんが、「一見、無駄なことのようにみえて、その実は無駄ではないということがある」ということは認められるようになりました。

遊び人の彼のケースを目の当たりにして、不思議なもんだと感心しましたが、これは恐らく、「その事柄自体が無駄か無駄ではないか」という問題なのではなく、「それを無駄にするかしないか」の問題なのではないかと思われます。せっかくビジネスに繋げられる人脈も、ただ知り合ったというだけに終わると、もったいないですものね。

何か行動を起こす場合、「何が無駄で何が無駄ではないか」という判断を下すことも重要かもしれませんが、 何かが無駄になりそうになっても、無駄にはしないという心構えで事にあたることが、何よりも重要なのです。

by    tetsu