論理的思考力養成 番外編② 考える教育の実験的試み 

論理的思考力養成 番外編

考える教育の試み

 

きっかけ

考えることが重要だと思ったのは自分の経験から辿り着いた結論。今でも思うのは、昔色々と行き詰まって苦しんでいた自分に今の自分があれこれ教えてあげられたらなぁってこと。ただただ知識を詰め込んで、それが何のためかもわからず、中途半端な考えで試行錯誤しては失敗を重ねて苦しんでいた自分を少しでも救うことができるんじゃないかって思える。

呻吟したあの頃の時間が無駄だとは言わない。おかけで今のように多少なりとも物事を考えることができるようになれたのだから。それでも、やはり教わった方がより効率良く身につけられたのは確かだし、もっと色んな可能性を試せたんじゃないかとさえ思える。

 

考えるってどういうことなのか?何をどうすれば、考える力が身につくようになるのか?何のために勉強するのか?そもそも、勉強している数学や化学における諸概念は何を意味するのか?勉強してきたことが将来どのような役に立つというのか?

今では何てことのないこういった様々な疑問が、常に僕を苦しめ続けていた。そんな経験をしてきたからこそ、同じように土台作りの段階で躓いて先に進めない人の一助になれれば良いと思う。

 

とは言え、最初は具体的にどうやってそういったことを身につけさせられるかという指針がはっきりとは定まっていなかった。だから、身近な人間で試験的に実践してみようと思った。一応、それがきっかけと言える。

 

 

学業での成果

今から10数年前、僕は大学生の頃に個別指導の塾でバイトをしていたことがある。個別指導だから、学年も成績の善し悪しも様々な生徒を受け持ってきた。ここだけの話、普通学級での通学は難しいんじゃないかなって子もいた。逆に、「何しに塾に来てんの?(来なくてもできるでしょって意味で)」って子もいた。

ある日、何の手違いか、そんな優秀な可愛らしい中学生の女の子が担当になった。当時、僕は見た目がアウトレイジ的な感じで、散々な言われようだった。必然、担当はやんちゃな子が3年になって、仕方なく受験のためにやってきましたみたいな生徒か、バリバリの大学受験生のどちらかだった。だから、正直言って、この組み合わせにはかなり驚かされた記憶がある。

 

まあ5教科合計500点満点で、中1の段階で450近く取れていたような子だったので、何とか成績が下がらなければ問題ないだろうということで、割と気は楽だった。学校の進度に合わせて与えられた問題集をさせてたのだが、ほとんど正解する彼女に対する塾の教育方針に疑問を持った僕は、室長の許可を取って、独自の学習プログラムで進めることにした。そう、論理的思考力の養成を主眼とした指導の先駆けのようなものである。

当時では、まだ今ほどはっきりとした形でプログラムを考えていたわけではなかったので、実験的な要素が強かったのは否めない。それでも、ある程度の自信は当時からあった。

 

週2回ほど指導していたのだが、最初の頃は何も問題なく過ぎていった。2年生になっても成績は下がらず、寧ろ少しだけ上がって、安定して450点以上を取れるようになっていった。1年生の初めのテストで450点くらい取った子の成績が、なだらかに下降していくということがしばしばしば見受けられるのだが(まあ初めのテストは簡単ですから)、そんな心配も彼女には不要だった。そんな状況だったからこそ、実験的な試みが許されたのだろう。

 

詳述するのは難しいので、ここでは控えさせていただくが、考える力を身につけさせるということに特化した指導をいよいよ実践していくことにした。

数ヶ月経過したが、成績に特に変化は見られなかった。プログラムを実践してから3回目の定期テストの時、僕は瞠目することとなる。

 

ある日、「ちょっといいですか?」と室長に言われて、面談室に呼び出された。席に着くや、「○○さんの成績のことなんだけど…何を指導してたの?」と言われて、「あれ?やらかした?」と冷や汗が出てきた。「いや、ちゃんと指導してきた筈なんですが…」そう言う僕に、彼女のテスト結果が見せられた。一瞬、僕はフリーズしてしまった。5教科合計得点489点…

 

僕「よ、489点!?ほぼ、パーフェクトじゃないですか!?」

 

室長「普通ね、450点くらい取る子の成績が上がるなんて滅多にないことなのよ。だから、驚いてるの。学年平均が上がったわけではなく、寧ろ、下がってるからテストのレベル自体は下がったわけじゃない。ということは、彼女の成績が純粋に上がったと考えられるわけ。で、思い当たる節としては、tetsu先生の指導プログラムかな、と。」

 

そんなやり取りをしたことを10年経った今でも鮮明に覚えている。彼女の成績は【英語・数学・国語が100点 理科98点 社会91点】だった。驚くべきは暗記科目で一番点数が稼げそうな社会が最低点で普通に良いレベル。中学生以上のテストで国語が100点というのは初めて見た(勿論、世の中にはそんな人は沢山いらっしゃるでしょうけどね)。

 

当然、彼女の並々ならぬ頑張りがあったからこその結果である。だが、彼女も周囲も認めてくれているところではあるが、論理的に物事を考える力を身につけるということは、学業面においても、直接成果に結び付くということが実証された瞬間だったのだ(まあ当たり前と言えば当たり前ですがね)。

 

彼女がそれ以降、同様の成績をキープしていたことは言うまでもない。残念ながら、それから半年後、僕は進学の都合で塾を辞めてしまったので、彼女がその後どうなったかはわからない。とても、成績優秀で地頭としても賢かったから、どこかの分野できっと活躍してくれているだろう。

 

 

スポーツでの成果

スポーツにおいても、考えるということは極めて重要である。単に身体能力だけを競うのなら、何も難しいことはない。力が強い者や速い者が頂点に立つだろう。でも、必ずしもそうはならない。

スポーツにおいて、考える力がどれほど重要かは、テニスやカーリングがチェスという知的競技に喩えられていることからも容易に察せられるだろう。

練習過程においてもそうである。強くなるためには何をしなければならないか。速くなるためには何をしなければならないか。そういうことを考えて練習に取り組むことによって成果は得られるのである。

 

僕の友人に非常に身体能力の高い男がいる。彼はバドミントンという競技の推薦で大学まで進んでいった。彼とはよく話をしていたのだが、その中でバドミントンの話も出てきた。大学での試合があるのだが、なかなか勝てない選手がいるということ。

当時、論理的思考力の養成について、学業面における成果はチラホラ確認できていたので、他分野における成果の確認がしたかった。スポーツ面においてはどうだろうということで、実践することにした。

一度も勝てない選手というのがいることがにわかには信じ難かった。それほど、彼の身体能力は高かったと思う。だから、練習過程において考えることを重視する、というよりも、実戦の中でそれを発揮できるような意識改革を試みた。相手の傾向分析などが実戦の中で可能か(事前に戦略を立てることが重要なのは言うまでもないし、相手選手の対策を研究することも必要ではあろう)。あるいは、ラリーにおける自分の放つショットがすべて意味付けられているか。(ネテロ会長とメルエムの闘いを参照にすると良いかもしれない)

 

同じ経験者としても(レベルは圧倒的に違うが)、重要だと思われる事柄をピックアップして、考えられるよう意識づけさせた。勿論、その過程で考えるとはどういうことで、どうすれば考える力が身につけられるかといったことに関しての話はしていた。

 

結果、大学3年間で一度も勝てなかった相手にあっさり勝った。あまりの呆気なさに彼自身が信じられないといった様子だった。考えることがいかに大切か、相手選手の傾向分析の必要性、一つ一つのショットの意味付けの重要さなどを交えて、戦果を興奮気味に報告してくれた彼の顔は今でも忘れられない。(正直、それまで何も考えずに、身体能力だけで全国レベルに達していたことに驚きを禁じえなかったが…)

 


まとめ

 

いずれも、考える力を身につけるということが、学業面においてもスポーツ面においても重要な役割を果たすということが認められた事例である。そして、これが論理的思考力養成を僕が志すようになったきっかけでもある。

 

この実践の中で何よりも実感したのが、指導者が考える力を身につけさせようという意識で指導していないのだろう、ということだ。仮に、そういった意識の元に指導をしていたとしたら、彼女または彼は僕と話す前に、既に成果を出していた筈だからである。

 

現状維持をよしとして、既にできることの繰り返しを課題として出していた塾の指導方針も、素晴らしい身体能力のある人間がその能力を遺憾なく活かすことができたら、容易に勝てた相手に敗北を喫するような指導をしていた監督も、すべてが物語っている。

 

考えることを教えられる指導者はいないのか?

 

推薦入試における小論文の指導においても、ミラクルと言われる数々の成果を出してきたが、学生の多くが考える力を、あるいはその考えを説明する力を有していないんだ、ということが容易に察せられた。昔、教授に「小論文入試における多くの答案は採点以前の問題だ」と言われた記憶が蘇るが、その言葉が意味していたことは、まさに上述した内容に依るのだろう。

 

勿論、これは学生だけに限った話ではない。社会人の仕事においても言えることである。考えることができるなら、より良くより早くできる、という声は周りからよく聞こえてくる。

つまり、勉強にしろ、スポーツにしろ、仕事にしろ、何をするにしても、多くのことは考える力を必要とする。そして、悲劇的なことに、考えることに特化した教育をする指導者が少ない。だからこそ、僕は論理的思考力の養成を目指しているのである。

 

 

by    tetsu