「条件付けを行う」―論理的思考力養成―実践編③

論理的思考力養成 実践編

今回は条件付けについてのお話です。

 


条件付けとは

条件付けとは、 考えるべき範囲を敢えて狭めて、思考を簡略化する方法です。

(誤解されないように、言っておきますが、簡略化と言っても、物事をシンプルにすることであって、決してイージーに捉えるということではありません。)

例えば、大掃除を思い浮かべて下さい。家の中があまりにも散らかった状態だと、何をして良いかわからず、呆然としますよね?そういう場合、手をつけるところを決めるところから始まります。寝室、応接間、リビング、キッチン、トイレなど掃除しなければならないところはいくつもあるので、敢えて掃除をすべき範囲を限定するのです。寝室なら寝室から、それが終われば応接間、そしてリビング…というように、順繰りに掃除していくのです。掃除すべき範囲を「家」という大きなカテゴリーから、「各部屋」という小さなカテゴリーに狭めることで、小さな目標を設定します。小さな目標だと達成しやすくなるので、やるべきことをあれこれ複雑に考えなくても済みます。すると、やるべきことが明確になる。明確になったら、やるべきことを一つずつこなしていく。そうして決められた手順を踏むことで、効率良く大掃除ができるというわけです。

旅行を計画する場合でも同じことが言えます。一口に「旅行をする」と言っても、様々な旅行があります。海外旅行や国内旅行。未来になると、宇宙旅行なんてものもあるかもしれませんね。そして、海外旅行と言っても、北米や南米、アジア、ヨーロッパ、アフリカと様々です。国内旅行でも、北は北海道から南は沖縄まで、東北、関東中部、北陸、関西、四国、九州と様々。行く場所や旅行の目的を決めなければ、何も始まりません。だから、計画を立てる場合には、行く場所や目的をカテゴライズする必要があります。カテゴライズすることで、やるべきことが絞りやすくなる。条件付けを行うことで、選択肢の可能性を狭め、考えるべき事柄を単純にするのです。これは場所や目的だけに限った話ではありません。天候や交通手段についても言えることです。「雨がふれば~、晴れならば…」と天候に関する条件付けを行い、場所や目的を決めることもできますし、「車が使えたら~、電車ならば…」というように交通手段に関する条件付けを行い、旅行を計画することもできるでしょう。

どのような場合であったとしても、このように条件付けを行うことで思考の出発点が定められ、諸々の条件が、ある分岐点において、想定されるパターンへと私たちを導いてくれる道標となるのです。

 


条件付けの必要性

思考の過程における道標として、というのは言うまでもなく、何よりも出発点として、この条件付けは重要な役割を果たします。なぜなら、 条件付けるということは、物事を秩序立てようとする試みに他ならないからです。

道標としての条件付け

世界や事実を含む物事というのは、混沌としています。もつれてしまった糸のように、様々な事柄が複雑に絡まり合い、私たちの前に一挙に与えられます。私たち人間は、そんな物事を認識する際、それを認識するのと同時に理解しようとするものです。 理解とは、理(ことわり)によって物事を解きほぐすことです。そうして、一本の糸で繋がった事柄が整然とした姿を現し、その糸で織られた物事を私たちは改めて認識するのです。この糸が、いわば論理なのです。

物事を織りなす幾本もの糸は、場合によっては枝分かれしていることもあるでしょう。単に、物事を認識するだけなら構わないのですが、私たちは生きる上で、自ら考え、行動しなければなりません。その過程で、どのような事柄を選ぶのかはとても重要なことです。高校や大学を卒業すれば働くのか?あるいは、更に進学するのか?働くとすれば、どのような職種・業種で、どの会社に勤めるのか?進学するとすれば、どの学校に行くのか?何を学ぶのか?現実問題として、選択が迫られるのです。

多くの場合、人生における選択は、多者択一です。一方を選べば、他方は諦めなければならないことがしばしばあります。そうして、糸を手繰り寄せることが生きるということだと思っています。厄介なのは、この糸が目に見えないということ。手繰り寄せた後に、実は確かに糸があったのだと事後的にしかわからないのです。ですから、当然、すべての分岐点がわかるわけでもありません。一本と思っていた糸に、実は分岐点があったのだということも、十分にありうるのです。

人生設計に限った話ではありませんが、このような選択が迫られる場合に、即断しなければならないことばかりではありません。寧ろ、少ないのではないでしょうか。だとするなら、予めどのような分岐点があるのかを想定することができるということです。ひょっとしたらより良い選択肢があるにも関わらず、知らぬ内に見過ごしてしまうとしたらもったいないですよね?そうならないためにも、どのような選択肢があるのかを吟味することはとても重要になります。この 選択肢の可能性を与えてくれる分岐点を示す道標が、条件付けなのです。

幾つもの選択肢があるということは、場合によっては、有利にはたらきます。選択肢が一つしかないと、それに拘泥しなければなりません。何かに固執すると、周りが見えなくなります。つまり、心にゆとりがなくなる。閉鎖的な精神性は、理性の働きを阻害することが多いです。さらに、苦しみへと繋がりやすい。多くの苦しみというものは、何かに固執、執着するところから生じるものです。逆に言えば、執着しなければ不必要な苦しみは生まれにくい。他にも選択肢があるということは、一つの事に執着する必要がないということですから、心に余裕が生まれる。心に余裕があれば、理性的な判断力もより良くはたらかせることができるのです。

一本しかない糸の先が、焼き切れていないとも限らない。ひょっとしたら、蜘蛛のような捕食者が待ち受けているかもしれない。その途中に他の糸の繋がりがあれば、他方を選択することも可能になります。その糸の先がないとわかった時点で、その先にある不都合も回避することができる。そう考えただけでも、条件付けの必要性は、わかっていただけるかと思われます。

 

始まりとしての条件付け

もちろん、道標としての条件付けだけが重要なのではありません。初めから、糸があれば問題ないのですが、そもそも糸がなければ紡ぎ出さなくてはなりません。その紡ぎ出される糸の端も、条件付けによって形成されます。いわば、始まりとしての条件付けが必要となるのです。

何もない状況というのも、判断するのが困難であるという意味においては、カオスと変わりありません。暗闇だけでなく、目も眩むような光の中でも物の判別が困難であるというのと同じです。物を見るには、適度な光量が必要なのです。

物事を考える場合、特に抽象的な思考の段階においては、きっかけが必要です。しかし、取っ掛かりがなければ何も始まりません。そして、この取っ掛かりを作る、あるいは、見出すのが容易ではないのです。暗い夜の海を、身一つで漂っているところを想像して下さい。方角も何もわからない状況で何ができるでしょう?うっすらとした島影や光が見えれば、そちらを目指して泳ぐこともできるでしょう。船影があれば、大声で助けを求めてもいい。しかし、何もなければ何をしていいのかがわかりません。それでも助かるためには、何かを選択しなければならないでしょう。星や潮流に関する不確かな知識から方角を推測し、助かると思われる方角に向かいデタラメに泳ぎ出す。または、体力の無駄遣いを嫌って波に身を委ねる。何が功を奏するかはわかりませんが、すべては「~ならば」という仮定に基づいて判断し、選択することを余儀なくされます。つまり、判断を含む思考と行動に関するすべての始まりに、このような条件付けが行われるということです。

このように逼迫した状況においてだけの話ではありません。例えば、起業するとしましょう。そのための資金をどのようにして準備するかは様々です。お金がないということで何もしない(できない)というのであれば、話になりません。自分でアルバイトをしてお金を貯めてもいいし、銀行から融資を受けてもいい。クラウドファンディングで資金を調達することも考えられます。事業の規模や、継続可能な期間は、事業資金の大きさに左右されます。従って、どれだけの額が調達できるかが起業の鍵となるでしょう。自分で働いて貯めればこれぐらいになるし、銀行から融資を受けられるならばこれぐらいになる、というように決められることになります。それから先は、分岐することはあっても、その糸を手繰っていけばいい。ただ、どのような形のものになるにしろ、始まりには必ず取っ掛かりがなければならないのです。時には、島影や光のような取っ掛かりがない場合も考えられるでしょう。その時は、取っ掛かりを作らなければなりません。それこそが条件付けなのです。

もちろん、これは抽象的な話についても言えることです。背理法がその最たる例ですね。証明すべき命題があったとして、どうしていいかわからない。具体的な証明方法が見当もつかない。そんな時は、仮定を置きます。例えば、「√2が無理数である」ということを証明しようとする場合、「√2が有理数である」という仮定を置きます。そうすると、どうなるかと論を展開していく。詳述は控えますが、結果、不都合が生じる。だから、「仮定が間違っている」となる。これが、背理法です。背理法では、「~ならば」という条件付けを行った場合に、どのような結論が導き出されるか、ということを論を展開する上での取っ掛かりとしています。そうすることで何もない抽象世界の海辺に灯台の光を灯すのです。

 


条件付けから前提へ

さて、勘の良い方は察しがついているかもしれませんが、上述した「始まりとしての条件付け」は〈論理的思考力養成⑥ 規定について〉の記事で触れた、「前提の規定」に繋がっていきます。

規定について

「規定について」―論理的思考力養成―基礎編⑥

2019年2月2日

実践においては、まずは、何もないところに取っ掛かりを見出さなければなりません。それも、できるだけ多く。可能な限り。まあ「しなければならない」と言うよりは、「した方が良い」と言う方が適切かもしれませんが。そして、端から論理の糸を紡いでいく。ある程度紡ぐと、その糸は自然と現れるようになります。目には見えないけれど、手繰り寄せられるようになる。時には、糸が幾つかに分かれるところもある。どの分岐を辿っていくかはその都度選択しなければなりません。

この行程の出発点を定める行為が、〈論理的思考力養成⑥〉で述べた「前提の規定」です。論理的思考の土台であり、すべての根幹です。これが違えば、譬え、どれほど優秀な人たちが論理的に話し合っても合意に至ることはありえません。もちろん、その前提自体を共に吟味し、譲歩し合う、あるいは、より良い前提を模索することは可能でしょうが。この 取っ掛かりを見出したり、足場を作る作業が、条件付けにあたります。条件付けによって、何本もの糸が与えられるわけですが、どの糸を掴むかは、その人次第です(場合によっては、始点にしろ、分岐点にしろ、ある岐路を選ばざるをえないこともありえますが)。これが、前提の受け入れです。

旅行の例で考えてみましょう。まずは、条件付けを行います。場所を一義的に考えるならば、「海外なら」または、「国内なら」となるでしょう。そこから糸は紡がれ、様々な選択肢が出てきますが、どちらかを選ばなければなりません。国内であるならば、地域を選択します。北海道に行くか、中部に行くか、四国に行くか、沖縄に行くか。これらの選択肢の中から選びだされた観光場所を、さらにより分けていきます。北海道なら?中部なら?四国なら?沖縄なら?様々な条件付けによって、旅行の行程が決められていきます。同じ場所でも、天気によっては巡る場所が変わってくるでしょう。晴れならばどうするか?雨ならばどうするか?そうして、想定される可能性を列挙して、計画を練っていくことになります。

もちろん、場所ではなく、予算を一義的に考えても構いません。思い切って贅沢をして百万円くらいかけた旅にするか、あるいは、数万円に抑えた慎ましやかものにするか。百万円かけて旅をするならばどこに行くか?数万円に予算を抑えるならばどうするか?こうして、後は他の条件を付け加えながら、糸を紡いでいくわけです。こうして紡がれた糸のうち、問題は、どの糸を掴むか?になります。掴んだ糸の端が、受け入れるべき前提となるのです。

 


まとめ

それではまとめていきます。

 

条件付けとは

考えるべき範囲を敢えて狭めて、思考を簡略化する方法

でも、気をつけて下さい。簡略化するからといって、それは安易に物事を捉えるということではありません。あくまでシンプルにするだけで、イージーではないということです!

 

条件付けはなぜ必要

判断が困難という意味において、何もない状況とは、物事が複雑に絡まり合った混沌とした状況と何ら変わりありません。敢えて、制限をかけることで、寧ろ、考えやすくするというメリットがあります。いわば、思考の取っ掛かりを作るのです。

 

条件付けを行うことで、様々な選択肢の可能性を増やすことができるという点で、この方法は有効であると言えます。精神衛生上、一つの事柄に囚われるよりも、よほど健全ですしね。そうして、想定される出発点の可能性の中から、あとは自分が実際に受け入れるもの選べばいいだけの話です。これが前提の受け入れになるわけです。仕事であれ、勉強であれ、遊びであれ、物事を考える上で、条件付けを行うことで様々な可能性を想定することは非常に重要なことなので、実践において、意識的に心がけるようにしましょう。

 

 

by    tetsu