論理的思考力養成 実践編② パラダイムシフトを行う

論理的思考力養成 実践編

いよいよ、前回から実践的な論理的思考力の身につけ方に入りました。まあ、これからも、さほどやることに変わりはありません。基礎編では、論理の構造についてのお話が中心でしたが、実践編では、その用い方をメインテーマとします。基礎編を理解しているという前提で話を進めていこうと思いますので、もし、わからないことがあれば、過去の記事を読み返して下さい。一応、直接の質問も受け付けておりますので、お気軽にどうぞ(◍⁃͈ᴗ•͈◍)

(ただ、返信が遅れることがありますが、その点はご了承下さい。)

 

さて、今回は、パラダイムシフトについてです。

 


パラダイムシフトとは

 

パラダイムとは

そもそも、パラダイムとは何でしょう?デジタル大辞泉には、次のように書かれてあります。

ある時代に支配的な物の考え方・認識の枠組み。規範。
語学で、語形変化の一覧表。

パラダイムシフトについて、用いられるパラダイムの意味は、「1」の方です。この語の難しいところは、これにあたる日本語がないということ。ですから、カタカナのままで用いなければなりません(ライプニッツの「モナド」という概念と同じですね)。敢えて、日本語で説明すれば、「 視点、物事を捉える様式、思考の枠組み」と表現できるでしょう。従って、論理的思考力養成においては、このようなものとして、「パラダイム」を言語規定することにします。

ちなみに、他の辞書にも、「規範、凡例」や「語形変化表」などと、大体似たようなことが書かれてありますが、ものによっては、

科学などの学問の進歩の方向を徹底する概念や思考の枠組み

(カタカナ新語辞典より)

などと、書かれてあるものもあります。しかし、この意味に対する説明には、「アメリカの科学史家T.クーンが初めて用いた」と付されていますが、誤解を与えかねないので、もう少し詳しく述べながら、パラダイムシフトについての説明をしていくことにします。

(ちょっとだけでも専門的な話が苦手という方や、興味がない方は「広義のパラダイムシフト」まで飛ばしていただいても構いません。)

 

一口にパラダイムシフトと言っても、実は幾つかの意味が含まれています。広い意味のものと、狭い意味のものです。

 

狭義のパラダイムシフト

狭い意味でのパラダイムシフトは、やや専門的な用語となります。元は、イギリスの歴史家、ハーバート・バターフィールドが著した『近代科学の誕生』で述べた「科学革命」と同義とされます。

バターフィールドの科学革命とは、 近代という時代の区分点として、17世紀における近代科学の成立にスポットライトを当て、産業革命にならい、称したものとされています。

よく例として挙げられるのですが、これは17世紀に起こった天動説から地動説への転換など、宇宙観や世界観の大変革を示すものです。この時代において、従来のキリスト教的世界観から、今日常識として受け止められるような科学的世界観へと移行し、後の産業革命へと繋がるような数々の技術的革新の元となった〈再現性を基準とした科学的方法〉や、〈ニュートン力学〉が確立されていきました。

世界の捉え方に関するものの見方や思考の枠組みが大きく変わっていく、このような変化こそが、狭義的な、本来のパラダイムシフトなのです。

 

先ほど、誤解を招きかねないといったのは、このような事情からです。確かに、パラダイムという言葉自体は、『科学革命の構造』を著したアメリカの科学史家、トーマス・クーンによるものですが、それも元は、バターフィールドの科学革命を拡張させた「パラダイムの転換」という概念からくるもの。従って、パラダイムという言葉自体はクーンが初めて用いたものでも、その原型はバターフィールドによってもたらされたと言えるのです。

 

広義のパラダイムシフト

一般的な広い意味でのパラダイムシフト

論理的思考力養成において述べるパラダイムシフトはより広義のものです。まあ、世間一般において用いられている意味と変わりありません。やや専門的な話をしたのは、上述したようなパラダイムシフトの意味と混同させないためです(言語規定は大事ですからね)。

専門的には、同じように、「広い意味でのパラダイムシフトと狭い意味でのパラダイムシフト」の区分が、「バターフィールドのものかクーンのものか」という基準があるそうですが、私たち一般人からしたら、バターフィールドのものもクーンのものも意味としては狭いです!だから、ここでは一般的な意味での「 視点、物事を捉える様式、思考の枠組みを転換すること」を広義のパラダイムシフトとして考えていくことにします。

 

集団におけるパラダイムシフト

さて、この広義のパラダイムシフトですが、いくら意味を広げたからといって、このままでは使えません。

ビジネスシーンなんかでもよく使われますが、各業界で「パラダイムシフトが起こっている」とか「パラダイムシフトが必要だ」とか聞いたことはありませんか?例えば、教育業界をみて下さい。これまでは、教科書通りにこなせる人材の育成に重きが置かれていました。でも、これからは違う。自ら問題を設定し、それを突破する主体性が求められるようになった。だから、考える教育が叫ばれるようになってきたのです。学校教育における教育観が、知識詰め込み型の教育観(これまでのパラダイム)から 思考力養成型の教育観(これからのパラダイム)へと転換する。今は過渡期でしょうが、これも一種のパラダイムシフトです。

このように、パラダイムシフトという言葉自体は、一般的な広い意味で浸透していますが、これも論理的思考力養成においては、あまり使いません。もちろん、厳密には使えないこともないのですが、核とはならないのです。というのも、ここで言うパラダイムシフトは、ある属性を持った集団にとってのものだから。集団においては、個人は埋没してしまいます。集団の意志は個人の意志ではありません。同様に、集団においてのパラダイムは、個人におけるパラダイムとは異なります。従って、集団におけるパラダイムシフトは、個人におけるものとは異なるのです。

論理的思考力養成は、あくまで、個人においてなされることです。故に、同じ広義のパラダイムシフトでも、個人にとってのパラダイムシフトを考えることが、何より重要となります。

 

個人におけるパラダイムシフト

まずは、個人におけるパラダイムについてお話しましょう。パラダイムとは「視点、物事を捉える様式、思考の枠組み」のことでしたね。ですから、個人のパラダイムとは、 世界に対する個人的なものの見方ということになります。それは、集団におけるパラダイムと一致することもあるでしょうし、一致しないこともありえます。

上述したような、学校教育に関するパラダイムが「知識を詰め込むもの」である人もいるでしょう。あるいは、「考える力を養うもの」である人もいます。こういったパラダイムは集団のパラダイムと一致していると言うことができます。ですが、これだけではありません。人間の考え方というものは千差万別。いろんな捉え方をする人もいるようで。

例えば、「生きるためには必ずしも必要ではないもの」と捉える人もいるでしょうし、「(本来家庭が担うべき)人格形成の場」とする人もいるかもしれません(というか、実際にそう考える親御さんに接したことがあります)。少数派かもしれませんが、これも一種のパラダイムです。個人のパラダイムとは、極めて特殊なことが多いのです。

こういった特殊なパラダイムを転換させるのが、個人におけるパラダイムシフトです。この個人におけるパラダイムは、その人の人生の中で培われてきたものの見方です。だから、転換することは容易ではありません。ですが、そういったものの見方も転換することができる、ということを知っておくのはとても大切なことなのです。

 

補足.間違ったパラダイムシフト

パラダイムシフトの意味を調べると、まれに間違った(あるいは、誤解を招きかねない)説明がなされている場合があります。例えば、「ものの見方を180°変えること」なんて説明がありがちですね。しかし、パラダイムシフトとはそのような意味に限定されるものではありません

ピーマンに関するパラダイムを考えてみましょう。私にとってはピーマンは食べ物ではありません(それくらいピーマンが苦手です)。「まあ食しても差し支えないので食べられている」程度の認識です。なぜなら、食することの目的が「生きていくために必要な栄養の摂取」であるか、「味覚に関する享楽」であるとするなら、ピーマンを食することは、これらの目的に適っていないからです(ま、個人的見解ですが)。ですが、世の中にはピーマンを食べ物と捉えている人がいるのです(なんということでしょう)!

さて、ピーマンを食べ物と捉えている人が、ピーマンが食べ物ではないと気づいた時に起こるパラダイムシフトは、ものの見方が180°変わったことを意味するでしょうか?答えはです。

確かに、「他の天体が地球の周りを回っている」とする天動説から、「地球が太陽という他の天体の周りを回っている」とする地動説にパラダイムシフトすることは、ものの見方が180°変わったと言えるかもしれません。そのような事例もあるでしょう。しかし、物事はそのように二面的に捉えられるほど単純なことばかりではないのです。

ピーマンが食べ物があるという捉え方から、ピーマンが食べ物ではないという捉え方へと変わることはものの見方が180°変わったかというと、必ずしもそうではありません。なぜなら、「食べ物ではない」という捉え方には、より具体的な別の捉え方があるからです。ピーマンは料理の飾りと捉える人がいます(ちなみに私はこの部類の人間です)。あるいは、薬と捉える人もいるでしょう。ひょっとしたら、魔除けと捉える人もいるかもしれません。これは「食べ物である」という捉え方が180°変わったものでしょうか?違いますね?

逆を考えればわかります。ピーマンを魔除けと捉えるパラダイムを180°転換したものは「ピーマンは魔を招くもの」という捉え方です。これが「ピーマンは食べ物である」という捉え方と同義ですか?答えは言わずもがな、です。

パラダイムシフトとは、ものの見方を180°転換することではありません数多ある可能性の中から、他の一つの捉え方を選ぶことに過ぎないのです。

 


パラダイムシフトの重要性

それでは、パラダイムシフトがなぜ重要なのか?について触れていきたいと思います。

 

原因と結果の多層構造

論理構造についてはこれまで幾度となく話してきましてが、重要なことに関して、まだ触れていないことがありました。それが、原因と結果の多層構造について、です。

物事には、原因があって結果が生じるという因果律については既に話した通りです。実は、この原因と結果の関係ですが、必ずしも、一対一に対応しているとは限りません。一つの原因から複数の結果が生じることもありますし、逆に、複数の原因から一つの結果が生じることもあるのです。

 

一つの原因から複数の結果が生じる

例えば、暖冬になったとします。すると、どのような結果が生じるでしょう?まずは、農作物への影響が考えられます。農作物への悪影響としては

①軟弱徒長となる不良苗の発生が懸念される。
②コナジラミ類、アザミウマ類、ハダニ類等の害虫発生の早期化による大きな被害の発生が懸念される。
③暖冬のおける(寒暖差による)急激な冷え込みや凍霜害の懸念が予想される。

といったことが挙げられます。

(農林水産省のホームページ参照)

他にもレジャー産業への悪影響も考えられます。暖冬で降雪量が少ないと、スキーやスノボーといったレジャーを楽しめる機会も減るでしょう。流通産業にも影響が出るかもしれません。冬服や暖房器具の売れ行きが悪くなったり。鍋料理などの需要も減るかもしれませんね。

このように、暖冬になるという一つの原因から、経済的損失に繋がる様々な結果が生じうるのです。

 

実際に起こることだけでなく、結果の可能性についても同じことが言えます。例えば、あなたが教育関係の仕事に就きたいとしましょう。でも、その動機(原因)から生じる結果については、いくつもの可能性が考えられます。将来に対する選択肢と言ってもいいですね。文部科学省に入省して、国の教育制度の根幹に関わる仕事をしてもいい。大学や予備校で講師をしてもいい。学校の先生になったっていい。学校の先生といっても、小学校から高校まで、選択の幅は広がります。

このように、一つの原因から一つの結果だけが生じるとは限らないのです。

 

複数の原因から一つの結果が生じる

逆の場合もあります。ある出来事(結果)がいくつもの要因(原因)から成り立っていることもあるのです。

例えば、ダムの建設を考えてみましょう。何のためにダムは建設されるのか?狭くて急流な川が多いという日本の河川事情を考えたときに、治水問題の解決策として造られるということが考えられます。あるいは、公共事業を行い経済の活性化を狙ってダム造りを行っている場合もあるでしょう。ひょっとしたら、時代劇でいうところの、悪代官と越後屋が行うような取引が裏でなされているなんてこともあるかもしれません。

選挙を例に考えてもいいかもしれません。ある候補者が当選するのは、人々がその候補者に投票したからでしょうが、各々の投票理由は異なっていることが多いのではないでしょうか?ある人は知人だからという理由で投票したかもしれない。また、ある人は候補者の経済政策や社会保障政策に魅力を感じて投票したかもしれない。ひょっとしたら、惰性で投票した人もいるかもしれませんね。

そういった複合的な要因が絡まり合って、一つの出来事(結果)が引き起こされることが、しばしばあるのです。

 

パラダイムシフトの重要性

さて、原因と結果が、必ずしも、一対一に対応しているとは限らない、つまり、多層構造をとるものということはご理解いただけたかと思います。すると、パラダイムシフトの重要性も自ずと明らかになってきます。

パラダイムとは「視点、物事を捉える様式、思考の枠組み」でしたね?ですから、パラダイムシフトとは、言い換えると、 異なる論理構造によって世界を捉え直すことと言えます。では、異なる論理構造によって世界を捉え直すことができると、どのような利点があるのか?それは、数ある可能性の中から、自分が善いと思えるものを任意で選択することができる、という利点です。

つまり、パラダイムシフトを行うことは、自分にとって、より合理的で効率的な選択を行うことに繋がるのです。

例えば、天動説から地動説へと転換した時、天体運動の計算は、よりシンプルに行うことができるようになりました。だから、予測もしやすくなった。ごちゃごちゃと複雑な事柄よりも、シンプルなものの方が、その物事に対する理解は深まりますね?理解が深まると、知識として活用しやすくなる。必然的に、自分が目指す目標を効率的に達成しやすくなるのです。

 

それだけではありません。パラダイムシフトを行うということが、異なる論理構造によって世界を捉え直すことだとするなら、それは 他者の視点から世界を捉え直すことにも繋がるのです。

他者の視点から世界を捉え直すと、他者の立場に立って物事を考えることができるようになります。安直な言い方かもしれませんが、それは他者の気持ちがわかるということ。つまり、相互理解に繋がるのです。

相互理解が深まれば、無駄な対立や足の引っ張り合いは少なくてすみます。あるいは、商談などを含む話し合いにおいて、お互いにとって利益となるような、折衷案を提案しやくすなる。それだけをみても、パラダイムシフトを行うメリットはあると言えるのです。

 

では、どうすればパラダイムシフトができるようになるのか?偏見や思い込みをすてることです。とは言え、口で言うのは簡単ですが、なかなか実行するのは難しいかもしれません。ですが、心構えによって、ある程度はできるようになると思います。

偏見や思い込みをすてるためには、柔軟な心が必要です。柔軟な心とは、 様々な事柄を事実として受け入れられる心です。日常生活の中で、他人と会話を交わす時、本を読む時、自分とは違う考え方に触れる機会はあります。そんな時、自分とは違う考え方だから、と単に拒絶するのではなく、そのように物事を捉えることもできるかもしれない、と一度は受け入れてみて下さい。

人間ですから、気に食わないことも多々あると思います。だから、すべてを受け入れろ、とは言いません。それでも、物事は違った視点から捉えることができる、ということを忘れないで下さい。自分が何かを捉える場合にも、様々な可能性を考慮できるよう、心にゆとりを持たせることが大切なのです。

 


まとめ

 

それではまとめます。

 

パラダイムシフトとは

視点、物事を捉える様式、思考の枠組みを転換すること

狭義的には、バターフィールドの科学革命や、それを拡張させたクーンの科学史上における世界の捉え方に関するパラダイムの転換を意味します。しかし、一般的に用いられている広義の意味においては、視点、物事を捉える様式、思考の枠組みを転換することとなります。

また、集団のパラダイム個人のパラダイムは異なります。偶然、一致することもあるでしょうが、基本的には別物です。ここでは、世界に対する個人的なものの見方について、取り上げています。

ちなみに、誤解を招きかねない説明として、「ものの見方を180°転換すること」と言われることもありますが、そうではありません!パラダイムシフトとは、数多ある可能性の中から、他の一つの捉え方を選ぶことに過ぎないのです

 

原因と結果の多層構造とは

原因と結果は、必ずしも、一対一に対応しているとは限りません!一つの原因から、複数の結果が生じる場合もあれば、複数の原因から、一つの結果が生じる場合もあります。世界は様々な原因と結果が、複雑な絡まり合っているのです。

 

パラダイムシフトはなぜ重要

理由は主に2つあります。

1.異なる論理構造によって世界を捉え直すことができるため、数ある可能性の中から、自分が善いと思えるものを任意で選択することができるから。

そうすることで、自分にとって、より合理的で効率的な選択を行うことに繋がるわけです!

また、異なる論理構造によって世界を捉え直すと、物事の様々な可能性を考えることにもなり、その物事への理解は深まります。すると、知識として活用しやすくなるのです。

2.他者の視点から世界を捉え直すことにも繋がり、他者の立場に立って物事を考えることができるようになるから。

それが、相互理解へと繋がり、双方にとってメリットがあるような折衷案を模索しやすくなったりするわけです。

 

パラダイムシフトを行うには

偏見や思い込みをなるべくすてるようにすること!

そのためには、柔軟な心が必要です。柔軟な心とは、 様々な事柄を事実として受け入れられる心です。物事は違った視点から捉えることができる、ということを忘れないことが重要なのです。

 

 

偏見や思い込みをすてるということは難しいかもしれません(私自身も日々奮闘しております)。ですが、世の中の問題の多くは凝り固まったものの見方から生まれることがしばしばあります。問題に行き詰まった時や閉塞感を感じる時は、思い切ったパラダイムシフトが解決策の鍵となることがありますので、身につけられるようになりましょう。

 

 

by    tetsu