論理的思考力養成 基礎編⑦ 全体性について

論理的思考力養成 基礎編

前回は、論理的に考えたり、話し合ったりするために重要な3つの規定について、お話しました。思考や話し合いを円滑に進めるためには、何よりも論理の存在を規定しなければなりませんでしたね?「何を言ってるんだ、そんな当たり前のことは言われなくたってわかる」とお叱りを受けるかもしれませんが、なかなかこれが容易なことではありません。まあ、そのことは実践の中で感じていただくとして、今回は、論理的に物事を捉えるために大切なことについてお話します。

 

もののあり方

 

機能的存在論

まずは、もののあり方についてお話をします。「ものがある」とは一体、どういうことでしょう?やや話が哲学的になってしまうかもしれませんが、何も心配ありません。話自体は至ってシンプルです。

 

さて、他の何ものにも依らず、他の何ものにも関与しない、ただ「あるだけ」の存在などありうるでしょうか?デカルトは何ものにも依らずに成立する存在を実体と呼びましたが、論理が有効であるような私たちの日常においては、そのようなものはありえないと思われます。その上、他の何ものにも関与しない、となると不可能です。

私たち人間の存在については言うまでもありません。仕事仲間の一員として、あるいは、家族の一員として、私たちは日頃から周りの人間に関わっています。それ以外にも、例えば、日常触れることのできない、ただ浮かんでいるだけの雲でさえ、地上における水の循環システムがなければ成り立ちませんし、当然、水や大気、もっと根本的なことを言えば、空間がなければ成り立ちえません。そして、それは雨を降らせる原因として、あるいは、陽の光を遮る原因として、地上にいる私たちにも関与します。極端に捉えるなら、見えている時点で、視覚的に関与しているとさえ言えます。物置で眠っている品々はどうでしょう?使われる可能性があるという意味で、私たちの精神や行動に影響を及ぼす形で関与する場合もありますし、譬え、忘れ去られた物でさえ、物置となる空間の床に力をかける物として、他のものに関与していると言えそうです。

このように、他のものと関わり合う性質を機能的とするなら、存在するものはすべて機能的に存在していると言えるのです。

 

 

構造的なもののあり方

論理というのはある種の構造ですから、論理的に考えたり、話し合ったりするためには、物事を構造的に捉える必要があります。その構造とは、上述したような、存在する物事の機能の仕方や、その関係性を言います。そして、その構造には主に2つのものがあります。

 

空間的構造

1つ目が、空間的構造です。これは文字通り、空間的に繋がり合った物事の関係性です。例えば、一般的な住宅などの建築物を想像してみて下さい。柱や屋根や壁があって、これらが互いにバランスよく支え合いながら、全体を構成していますね?このように物事は空間的に繋がり合いながら、成立していることがあります。

これも一つの論理的形式です。柱があるから建っていられる。屋根があるから全体としてまとまっていられる。○○だから、□□である。空間的構造の内にも論理的形式があるのです。

(ややこしい話をします。苦手な人は次の項の「時間~」まで飛ばしていただいて構いません。内容理解に支障はない程度の話です)

これは抽象的空間においても言えることです。ここで言う抽象的空間とは、具体性の排除された、命題から構成される空間で、数学的命題のような抽象性の総体と言っても良いかもしれません。例えば、「すべての偶数は2で割り切れるから6は偶数である」というのも、数学における抽象的空間の構造によって表されるものです。これは「すべての偶数」という概念上のカテゴリーに「6」が含まれているという空間的構造を論理的形式に当てはめただけの記述に他なりません。

 

時間的構造

2つ目が、時間的構造です。これも文字通り、時間的に繋がり合った物事の構造です。「雨が降ったから、地面が濡れている」、「勉強したから、成績が上がった」。これらはいずれも「雨が降った」、あるいは、「勉強した」という過去の事柄が現在の(または、それより未来の)事柄に影響を及ぼす(繋がり合った)関係性を論理的形式に当てはめたものです。

この時間的構造も、一つの重要なもののあり方の構造なのですが、論理的形式に当てはめる時には、忘れられることがあるので気をつける必要があります。例えば、次の命題を考えてみましょう。

 

「叱られないなら、勉強しない」

 

この命題の対偶を取ります。

( 対偶とは、ある命題の仮定と結論を否定して入れ替えたものを言います。「AならばB」の対偶を取ると、「BでないならばAでない」となります。一般的に、元の命題が正しいとされる場合、その対偶もまた、正しいものとされます。例えば、「6であるならば偶数だ」の対偶は「偶数でないならば6ではない」となりますね。「6であるならば偶数だ」は正しいので、対偶もまた、正しいことになります)

 

「勉強するなら、叱られる」

 

あれ?何か違和感がありませんか?勉強して叱られるなんてことがあれば、子供は勉強なんてするわけありませんよね?まあ世の中広いですから、あまりの勉強好きのため、叱られてまで勉強したいと言う子供がいるかもしれませんが…でも、普通はそんなことありません。

「叱られないなら勉強しない」を正しいとするなら、その対偶もまた、正しくなければなりません。でも、実際はそのようには思われません。その原因は何か?実は、ここでは時間的要因が見失われているのです。

「叱られる」と「勉強する」との構造的関係性は空間的ではなく、時間的なのです。当然ですが、叱られながら同時に勉強するなんてことは一般的にはありませんよね?ここで言う「叱られる」は「勉強する」に時間的に先行していなければならないのです。

叱られないと、絶対に勉強しない子がいたとしましょう。そんな子が勉強しているんです!じゃあ何があったかわかりますよね?そうです、叱られたんですよ!だから、その子は勉強しているんです!というように、この場合では、「叱られる」と「勉強する」の時間的前後関係は固定されなければなりません。ですから、前の対偶を正しく取ると「勉強するのは、叱られから」となるのです。

このように、物事の性質よりも現実世界における行為が取り上げられる場合には、時間的要因が関わってきます。それを単純作業的に、論理的形式に当てはめると正しい意味が見失われることにも繋がりかねません。ですから、論理的に考えたり、話し合ったりする場合には、その思考対象や伝達内容の論理性が、空間的構造によるのか、時間的構造によるのかをきちんと認識することが重要となるのです。

 


全体を捉えること

 

全体を捉えようとすること

論理的認識においては、物事は切り取られてしまうものです。というのも、どこかで無条件に受け入れるべき前提があり、そこから因果律のとりうる構造を捉えるのだから、当然と言えば当然です。そういう意味では部分的になってしまっても致し方ありません。ですが、それでも、なるべく物事の全体像を捉えようとすることは大切なことだと思います。

その理由は、捉えようとする対象の機能的存在性にあります。機能的存在性については上述したとおりですが、周りの物事との繋がり合いの中で、その対象がどのように関与しているかということが、そのものの性質であったり、本質に繋がるのです。それ故、周りとの関係性の中でそのものを捉えようとすることが重要となります。例えば、一本の木だけを見て、その木の性質を捉えようというのは無理があります。虫や鳥、あるいは、他の植物との関係性を含む「森」という生態系を含む全体をみなければいけません。すると、住処や栄養を提供するものとしての機能的存在性が認識できるかと思われます。勿論、視野を広げて地球環境という全体でみても良いかもしれませんね。

物事の実在的性質などがあったとしても、それほど重要ではないと思われますし、そもそもそんな性質は捉えようがありません(カントの「もの自体」という概念に似てますね)。だから、大切なのは、その対象がどういうものとして機能しているのかを捉えようとすることなのです。「木を見て森を見ず」になっては「木」の性質は捉えきれません。

 

 

有機的連関

個と全体との関係性

全体を捉えることが重要なのは、他にも理由があります。それが、有機的連関に関わる話です。 有機的連関とは全体が成立するために必要とする個々の繋がり、または関係の仕方を言います

 

個と全体との関係性は不思議なもので、どちらが失われても、お互いが成り立たなくなる場合もあります。例えば、科学における研究論文なんかでは、幾つもの実験が行われ、各々の結果を筋道立てて説明することで、有意義なものに仕上がっていくのですが、その中の一つが間違った実験結果に基づくとしたら、それ以降の実験や結論が全く意味をなさなくなることがあります。ドミノ倒しで途中のドミノが倒れなくなるようなものです。あるいは、人体における肺という器官を考えてみましょう。肺は心臓や血管にはない個としての能力を持っていますが、それだけでは全く意味をなしません。心臓や血管などの働きがあって、初めて人体の生命維持に貢献するのです(体という全体を成り立たせるためにあるこのような個々の器官同士の繋がりが、いわば有機的連関です)。肺という個があって体という全体があり、体という全体があって肺という個がある。相互依存とも言えるこのような関係性が、個と全体にはあるのです。

 

失われた全体とバランス

そして、この関係性が実にデリケートな場合があるのです。まるでトランプタワーと支え合うトランプとのバランスのように。生態系が良い例ではないでしょうか?それを捉え損なったのが、科学的なものの見方です。

科学的なものの見方というのは、極めて分析的です。全体から切り離された部分部分に分けて物事を捉えようとします。そういったものの見方によって、社会活動を行うとどうなるか?全体を捉えずに、部分的な合理性に基づいて、経済活動を行うとどうなるか?その一例が公害の発生です。

社会活動、経済活動は人間が行うものです。その人間が生きるためには、空気や水、食料が必要となります。ですが、その生きる糧を自ら汚染してしまった。それが、水俣病や四日市喘息などです。本来、経済活動などは人間が生きるために行う活動の一つに過ぎません。それが人間の生命を脅かす事態を招いてしまった。本末転倒と言わざるをえません。

公害という悲劇は、全体性を見失って、部分的に物事を捉えようとしたものの見方が招いたものです。奄美大島のマングースによる生態系破壊も、その一例と言えるでしょう。ハブを減らすために天敵であるマングースを放った。すると、マングースはハブよりも狩るのが楽な、他の希少な動物を襲うようになった。そうして生態系は破壊された。

何も分析的なものの見方が悪いというわけではありません。部分部分に分けて、各々の繋がりを捉え、構造を把握するというのもとても大切なことです。しかし、全体の有機的な繋がりを考慮せず、その部分的構造を捉えることだけに終始することは、結局、その部分的構造をも見失わせることになるのです。

 


まとめ

 

それではまとめます。

 

機能的存在論とは

「存在するものは、周りのものとの関係の中で、○○として成立している」と捉える考え方。他のものに関わっているという意味で、ものは機能的に存在するのであって、何ものにも依らず、ただそれだけで成り立つようなものはありえないし、万が一あったとしても、それには何の意味もない、という立場から、もののあり方を捉えるもの。

 

物事を構造的に捉える意味は

ものが機能的に存在する以上、物事は関係性の中で捉えられなければならない。そうすることで、その構造を論理という構造に当てはめて考えることができるようになる。

 

物事の構造とは

物事の構造には2種類のものがある。それは空間的構造時間的構造論理的に考えたり、話し合ったりする場合には、その物事が空間的構造に基づくものか、時間的構造に基づくものかをしっかり認識すること!でなければ、わけのわからない結論が導き出されることに繋がりかねない。そうなると、客観性は保証されなくなる。

 

全体を捉えることの意味は

1.ものや物事の性質を捉えるため

物事を切り取って考えるのは仕方がない。それが言葉の分節化能力や論理の限界でもある。それでも、やはり全体を捉えようとすることは大事なこと!ものが機能的に存在する以上、 ものや物事が関係する事柄を含む全体を捉えようとしなければ、そのものや物事の性質は見えてこない!

2.物事の構造を見失わないようにするため

物事は、有機的連関によって成り立っている (有機的連関とは全体が成立するために必要とする個々の繋がり、または関係の仕方のこと)。この有機的連関のバランスが崩れると、物事の構造自体が失われる危険性がある。部分に固執するということは、有機的連関のバランスを崩すことにも繋がりかねないので、 全体の中で物事がどのように成り立っているのかを捉えようとすることが重要となる!

 

いかがでしたか?話が本格的に進んでいくことで、難しそうに聞こえる言葉も出てきましたね。「機能的存在論」だの「有機的連関」だの。あまり、難しそうに聞こえる言葉を遣うのは心苦しいのですが、説明するためには言葉を決めなければならないので致し方ないところです。しかし、話自体は至ってシンプルなのです。

 

全体を捉えるのはとても大切なことだよ。物事は全体の中にあるわけだからね。そして、全体を捉える姿勢を忘れずに物事を構造的に捉えようね。その構造には主に2つのものがあるから気をつけてね。それが空間的なものと時間的なものだよ。これらの構造を論理に当てはめて考えたり、話し合ったりしようね。

 

要約すれば、たったこれだけのことなんです。実にシンプルですね?詳しく説明すればややこしそうに見えますが、全体として何を言っているのか、に注意すれば何てことはありません。

勿論、話がシンプルだからといって、容易に実践できるかと言えば、そうではないかもしれません。ですが、論理的思考力を身につけられるために大切なポイントをまとめてますので、それを意識しながら実践すれば、確実に修得できることは間違ありません(幾多の実例がありますので)。ですから、難しそうに見えても、言葉の意味を一つ一つおさえていきながら、ゆっくりと進んで下さい。そうすることで、考えるということが、確実にあなたのものになっていくでしょう。

今回はここまでにします。ありがとうございました。

 

 

by    tetsu