論理的思考力養成 基礎編⑤ 論理の有用性

論理的思考力養成 基礎編

論理の力

 

それでは、前回までのお話を軽くおさらいしておきましょう。

論理とは、因果律のとりうる構造のことでしたね。その構造があるから、根拠付けられた理由から導き出された結果(結論)も、客観性を保証される。従って、他の人が納得できる形で受け入れられる(あるいは、事実認定できる)。これが論理の持つ力です。それ故、物事を考えたり、他の人に説明したりする際には、重要なものとなるのです。

 

普遍と特殊

さて、論理の持つ力には構造において客観性を保証するということ以外に、もう一つ別の面があります。それが、普遍性があるということです。

普遍性」…なんだか難しそうな言葉ですね。でも、そんなことはありません。なぜなら、もともとは、論理というもの自体が、物事をシンプルに捉えて、理解しやすくするためのものですから。物事をシンプルに捉えようとする仕組み自体にわかりにくいものが用いられることはありません。だから、説明を聞けば何てことないものだとおわかりいただけるはずです。

普遍とは、「広く行き渡ること」あるいは、「すべての物事に共通して存すること」なんて意味が辞書には記されています。やや説明足らずの感が否めません。もう少し厳密に捉えるなら、時間や場所によらず、常に成り立っていることと言った方が良いでしょう。例えば「神の存在が普遍だ」と言う時、神様はいついつにしかいない存在でもありませんし、「ある場所において神様の存在が肯定され、またある場所においては事実認定として否定されるようなもの」と考えられる存在でもありません。神様の存在は、特定の時間や場所に限った話ではないのです。

その対義語(反対の意味を持つ言葉)に、「特殊」という言葉があります。これは逆に「特定の時間や場所に限って成り立つこと」を意味します。例えば、人間の存在は特殊です。時間も場所も限られています。地球ができる以前には人間はいませんし、天の川銀河のほんの片隅にしか存在していません。神様の存在が普遍である一方、人間の存在は特殊だと言えます。

 

普遍と有用性

これで、論理が力を持つ理由がおわかりいただけるかと思います。論理が力を持つのは、論理に普遍性があるからです。普遍性があるから、有用性が高いと言えるのです。

例えば、ナイフを想像して下さい。ペーパーナイフや果物ナイフのように、特定の用途しかないナイフよりも、何にでも使える万能ナイフなるものがあれば、そちらの方が有用性が高いことがおわかりいただけますね?あるいは、ナイフだけの用途に限らず、包丁にも使えて、髭剃りにも使えて、ノコギリにも使える…そんな刃物があれば、そちらの方が有用性が高いということができるでしょう。

このように、 特定の状況に限られた特殊なものよりも、状況によらないものの方が有用性は高くなります。そのような意味で、論理には高い有用性があります。論理は状況によらず、どこででも使えます。故に、論理は力を持つのです。

 


論理の抽象性

 

それでは、なぜ論理が普遍的であれば有用性があり、力を持つのかという点について、もう少し詳しくみていきましょう。

 

抽象と具体

論理の普遍性は何によって支えられているのでしょう。それは抽象性です。

「抽」は抽斗(ひきだし)という言葉からもわかるように、「ひきだす、ぬきだす」を意味し、「象」は形を意味します。従って、抽象とは、 形から抜き出されたもの、つまり、形を持たないものを意味するのです。例えば、時間や空間、あるいは、数字といった概念は抽象的です。なぜなら、これらは形を持たないからです。

それに比べて、私たちが実際に手を取って見ることのできるフォークやナイフといった「物」、あるいは、実際に登ることのできる富士山などは抽象的とは言えません。これらには形があり、抽象と対義的に「具体」と言います( 「具」とは備わっている、「体」は形ある物質的なものを意味します)。事実認定できる出来事などもそうです。それは形を伴った物によって成立するので、抽象的とは言えません。

論理が抽象的であるのは言うまでもありませんね?なぜなら、論理は形を持たないからです。論理は骨組みのようなもの。ですから、それだけでは何の意味も持ちません。論理という形を持たない、抽象的な骨組みのような構造に、具体的な事柄を結び付けて用いる必要があるのです。

 

 

抽象と普遍

それでは、なぜ抽象的であると、普遍的でありうるのでしょうか?それは、抽象的であるということが形を持たないことを意味するからです。

 

具体的なものはどうでしょう?基本的に、形のある具体的なものは普遍的とはなりません。恐らく、ありえないでしょうし、仮にあったとしても極めて珍しいと思います。

例えば、神様を表す具体的な石像のようなものがあったとします。それは普遍的な存在としての神様を表すことはありえません。場所や時代によっては、像の神様は立っているかもしれないし、座っているかもしれない。白いかもしれないし、灰色かもしれない。そもそも、そのような像が石でできているかもしれないし、銅像のように銅でできているかもしれない。

また、物質的な神様の像は時間と共に劣化していきます。場合によっては雨風の浸食を受け、原型を保てなくなる日が来るでしょう。形ある物はいつかは壊れます。永遠に原型を保っていられる物などないのです。

このように、特殊な時間や場所によって成り立つ以上、具体的に形の与えられたものは普遍的にはならないのです。

 

それに対して、抽象的なものは時間や場所を選びません。例えば、「1+1=2」というある種の数学的真理は、特殊な状況下に限った話ではありません。それが譬え夢の中であろうと、「1+1=2」は「1+1=2」なのです。

 

〔ちなみに、余談ではありますが、「我思う故に我あり」で有名なデカルトというフランスの哲学者は、普遍的な確かさが保証される数学的概念でもって、世界を捉えようとしました。この世が胡蝶の夢かどうかを疑う時、譬え夢の中でも、数学的概念の正しさは変わらない。そういう信念の元で彼は自身の哲学を体系化しようとしたのです。このことは彼の記した『方法序説』から『宇宙論』(世界論ともいう)への展開にみてとることができます。〕

 

そして、何より、抽象的なものは具体的なものへと還元することができます(※注.「還元」という語は、「 根源的なところに再び戻す」という意味ですが、用法としては今回のように「 当てはめて考える」という意味で用いられることがしばしばあります)。「1+1=2」もあらゆる物を数えるのに用いられます。1人と1人を足せば2人になりますし、1羽と1羽を足せば2羽になります。

 

あらゆる事柄に還元できるということは、すなわち、あらゆる事柄に共通して言えるということです。これが、論理の普遍性です。そして、 あらゆる事柄に共通して言えるということは、多くの人が納得した上で受け入れられるということに繋がります。これが論理の力なのです。

 


論理の力の限界

 

論理は有用です。ですが、決して、万能というわけではありません。確かに、論理は抽象的であるが故に、様々な事柄に還元することができます。そして、様々な事柄に還元されるが故に、多くの人に受け入れられやすいという意味で力があります。しかし、抽象的なものがすべて普遍的かと言うと、そうではありません。論理という構造自体が普遍的であっても、 論理によって表された事柄が必ずしも普遍的というわけではないのです。

 

ここで、前回までのおさらいになりますが、論理によって表された事柄が客観性を持つのは、どのような場合だったか思い出して下さい。そう、それは原因・理由が受け入れられる時です。仮に、無条件に受け入れられる原因・理由でない時は、その原因・理由を根拠付けることによって、客観性が保証されなければなりません。そうして初めて、原因・理由の客観性が、論理という構造によって、結果や主張へと伝わってゆくのです。

要するに、論理的結論には、受け入れられなければならない、出発点となる原因・理由が求められます。 このような出発点となる原因・理由を「前提」と言いますが、この前提が受け入れられなければ、論理は何の力も持たなくなります

 

何らかの前提を共有し合わなければ、通じ合うことはできません。例えば、何らかの仕事の話をする場合でも、お金儲けを第一と考える人間と、義理人情を第一と考える人間が話し合っても分かり合うことはできません。なぜなら、両者が土台とする前提がそもそも違うのですから。譬え、論理的にであっても、話し合えば分かり合えるというのは幻想です。分かり合えるのは、話し合う人間が前提を共有する場合に限るのです。

 


まとめ

 

それでは、まとめましょう。

 

なぜ、論理は力を持つ

1.構造によって、客観性を保証するから!

2.抽象的であるが故に、様々な事柄に還元することができ、普遍性を有するから!

 

論理はどれくらい有用

論理が客観性を保証するので、論理によって表された事柄が多くの人に受け入れられやすい、という点においては有用性がある。 ただし、万能ではない!論理が有用なのは、あくまで、共有する前提がある場合に限る!前提が違う人間同士は、譬え論理的に話し合っても、分かり合うのは難しい!

 

特に、論理の力の限界については、実に誤解されやすいところだと思います。論理と聞けば、あたかも絶対的に正しいもので、受け入れられなければならないと思われがちですが、そんなことはありません。ですから、話し合う時には、それが論理的にであっても、お互いが前提を共有できているかどうかを確認することが何よりも重要になります。でなければ、話は平行線を辿るばかりで、何の解決もみられなくなるので、お気をつけ下さい。

 

 

by    tetsu