論理的思考力養成 実践編④ 換言して考える

論理的思考力養成 実践編

今回は、換言的思考についてです。

換言的思考について

換言的思考とは

換言的思考、なんだか小難しそうな言葉ですね。でも、中身はそんなことはありません。いつも通り、難しそうなのは見た目だけ。内容自体は、実に、シンプルです。

内容は、読んで字の如し。換言、つまり言い換えですね。言い換えとは、今まさにしたような 「つまり」によって、表すことを意味します。まあこの場合は、それほど言い換えられた感じはしませんが(同じ漢字で表されてますしね)、実際は、もっと別の表現によって表されることになります。

例えば、「偶数」という表現をみて下さい。「偶数」は、「2で割り切れる数」というように、別の表現が可能ですね。これが、言い換えです。さらに、「整数からすべての奇数を除いた数」なんていう別の表現もできそうですね。このように、 物事を表す命題を換言することで、考えを進める方法換言的思考と言います。単純な物言いをすると、物事の表現を言い換えて、別の捉え方をしてみることで、考えるヒントを増やし、考えを進めるきっかけにしてみようってことです。

 

換言的思考の実用例

ここで、換言的思考の実用例を、ある有名な問題を元に考えていきましょう。その問題とは次のようなものです。

100人のトーナメント戦

100人でトーナメント戦を行うとする。3位決定戦まで行い、敗者復活戦は行わず、ただ1人優勝者を決めるとすれば、全部で何試合行わなければならないだろうか?

 

18歳の頃のtama:「えーっと、100人が1対1で試合をするわけだから、まずは50試合が行われて、次に第1試合の勝者同士がぶつかり合うから、25試合が行われる、と。ほいで、次に第2試合の勝者同士がぶつかり合うんだけど、半分で割り切れないから、とりあえず12試合行って、次戦で第3試合で余った人が第4試合に参戦するから、6試合+1試合で7試合が行われる。そこから、第5試合に突入して、…最後に1人が勝ち残るまでやるから、優勝者を決めるトーナメント自体は99試合!最後に3位決定戦をするんで、99+1となるから全部で100試合!」

いや、合ってるんだけどさ、長ぇよ…。なんてことが、真面目にコツコツ計算してると、起こります。でもね、これもっとシンプルに解くことができるんです。換言的思考の出番ですね。「ただ1人が優勝者するまで100人でトーナメント戦を行う」を言い換えればいいのです。

「ただ1人が優勝者するまで100人でトーナメント戦を行う」、つまり、「1つのトーナメント戦において、99人の敗者を決める」ということになるのです。99人の敗者を決めるためには何試合必要か?おわかりですね?当然、99試合必要です。さらに、3位決定戦が行われるので、全試合数は99+1より、100試合ということになります。簡単でしょ?複雑そうな事柄も、換言的に考えることで、実にシンプルに捉えることができるのです。

 

ケーニヒスベルクの橋

18世紀の初頭、プロイセン王国(現、ロシア領)のケーニヒスベルクという地方にプレーゲル川という川がありました。この川には7つの橋が架かっていたのですが、ある問題が持ち上がりました。それは次のようなもの。

陸地部分を通って、7つの橋を1度しか通らずに、全て渡って、元の所に帰ってくることができるか?ただし、どこから出発してもよいことにする。

一筆書きの問題としても、よく知られる問題です(その場合、橋を含む経路を線で、中州などの陸地を点に見立てます)。

川の源流を迂回するという特殊な(?)解を除けば、かの大数学者オイラーが出したように、答えは否定的なものとなります。では、どのように解を導けば良いか?

まずは、一筆書きの問題として捉えましょう。そして、換言的思考を用いてみます。「一筆書きできる」ということは、言い換えるなら、「図をバラすと、一本線で表すことができる」ということを意味します。そこで、一本線を思い描いてみて下さい。どの点を取っても、始点と終点(両端)以外は、分岐が2つあります(横線ならば左右に、縦線ならば上下に分かれてますもんね)。そこに、この一本線を折ったりして、どれほど重ね合わせたりしても、始点と終点以外を重ねると、「X」や「*」みたいに、分岐は2つずつ増えていくだけです。つまり、分岐の数は常に偶数になるということ。

例外的に分岐が奇数になるのは、始点と終点(両端)がくっ付く時だけです。始点と終点がくっ付くと、最も単純な形を考えると「6」みたいになりますね。「6」の分岐を数えると、始点は1つの分岐しかなく、終点は(拡大してみると)「T」のように3つの分岐からなります。より複雑な形を思い描いてみても、偶数の分岐に1本の分岐(始点か終点)をくっ付けるだけなので、奇数の分岐は、やはり始点と終点の数しかありません。要するに、一本線からなる図形には、奇数の分岐は多くても2つしかないということになります。

ちなみに、始点と終点をくっ付けると、「○」のような形になり、奇数の分岐はなくなります。1本の分岐と1本の分岐をくっ付けるわけですから、その点の分岐は2という偶数になりますもんね。

以上のことから、次のことがわかります。

・1本の線で描ける図形というのは分岐が奇数の点が、0か2つあるものに限られる(奇数の分岐が1つのものも一筆書きはできない)。

・分岐が奇数である点を持つ図形の場合、その図形を一筆書きするためには、分岐が奇数である点から、書き始めなければならない。

これらのことを踏まえた上で、ケーニヒスベルクの橋を考えてみましょう。ケーニヒスベルクの橋を簡素な幾何学的図形に見立てた時、4つある全ての分岐が奇数になっていますね?これでは一筆書きできるはずもありません。従って、「陸地部分を通って、7つの橋を1度しか通らずに、全て渡って、元の所に帰ってくること」はできないということがわかります。

実際に、全てのルートを検証して、「できない」という否定的結論に至るには、かなりの労力と時間を要することになるでしょう。ですが、「一筆書きにできる」ということを、「図をバラすと一本線で表すことができる」と言い換えて、さらに「一本線から構成される図は、分岐を奇数個もつ点が0か2つしかない」とわかれば、「ケーニヒスベルクの橋」を表す簡素な図形を一筆書きにできないということが、比較的シンプルに導かれるのです。

 


換言的思考とパラダイムシフト

換言的思考とパラダイムシフトの違い

上に挙げた例は、論理パズルでもよく登場する、言わば遊びの一種ですが、何も遊びにだけ換言的思考が有効であるわけではありません。言うまでもなく、勉強などにも活用することができます。

前回、「条件付け」の記事でも述べましたが、「√2が無理数である」ことを証明しようとするとき、背理法が有効な1つの方法でしたね?当の命題を証明するために、まずは「√2が有理数である」と仮定します。ここで、換言的思考の出番です。「√2が有理数である」ということは、つまり「互いに素である任意の整数a、bにおいて√2=b/aが成立する」ということです(「有理数である」とうことは「分数表記が可能である」ということですから)。ここから、「√2=b/a」の式の両辺を2乗していくことから証明は進みます。詳述は控えますが、式を操作していくと、やがて矛盾が生まれます。そうして、仮定の間違いを示すことで元の命題の正しさを証明するのですが、そのきっかけは「√2が無理数である」ことを「互いに素である任意の整数a、bにおいて√2=b/aが成立する」ということに換言するところから始まりましたね。このように、元の命題を言い換えるところから、発想の転換ができたり、思考が始まることが往々にしてあるのです。

実は、この換言的思考は、前々回でお話したようなパラダイムシフトにも通じる話なのです。軽くおさらいしましょう。パラダイムシフトとは、「視点、物事を捉える様式、思考の枠組みを転換すること」でしたね?でも、物事を視ることも、捉えることも、思考することも、その様式や枠組みが違えど、認識する対象や事実は同じものです。パラダイムシフトとは、1つの物事を違う視点から眺めたり、それの持つ文脈的な意味合いを別の文脈で捉えなおしたり、思考体系のあり方を決定付ける根本的な前提を受け入れなおしたりすることで、その物事の持つ別の面を見出すことに他ならないのです。

視点を変えるという意味においては、換言的思考もパラダイムシフトも同じ類のものです。しかし、両者には微妙な違いがあります。以前述べたように、パラダイムシフトが重要なのは、物事における原因と結果が多層構造をとるからです。一方、換言的思考は、物事を別の表現を用いる、あるいは、他の角度から捉えることで、原因と結果をシンプルな構造のもとで理解しやすくしたり、考えるとっかかりを作るためのもの。従って、パラダイムシフトは複雑な因果構造のもとで要請されるが、換言的思考はシンプルな因果構造のもとで要請されるというわけです。とは言え、「別の見方をしようよ」という点では、やはり、両者にはそれほど本質的な違いはありませんけどね。

 

換言的思考やパラダイムシフトと社会性

余談になりますが、このパラダイムシフトと換言的思考は、社会生活においても、極めて大切な力なのです。健康や経済的なものを除けば、人生における問題の多くは、人間関係に端を発しています。学校であれ、仕事であれ、家庭であれ、根本的な問題は意志疎通が図れないところにあるのです。では、何故意志疎通が図れないのか?問題を起こす人間の多くが、自分のことしか考えていないからです。

社会における行為が自己だけで完結しているものなど、極めて稀です。街中を歩くことや電車に乗ることさえも、邪魔になったり、ぶつかって不快な思いをさせたり、何らかの影響を他人に及ぼすことがほとんどです。4人も横並びでダラダラと歩いては他人の通行を妨げたり、電車で無駄に足を大きく開いては他人に窮屈な思いをさせたり。そんな非生産的な行為をしている人間には、固定されたたった1つの視点(自分からの)しかないのでしょう。少し頭を働かせればわかるはずなのですが…。

他人からの視点で物事を捉えるというのは、換言的思考やパラダイムシフトに通底するものです。そう考えると、視点を変えるという、たったそれだけのことが、論理的に解決すべき問題だけでなく、社会生活における日々の問題を解決する糸口になると言えるかもしれませんね。とは言え、言うは易し。別の視点から物事を捉えたり、俯瞰してみるということはなかなか難しいかもしれません。しかし、そういった問題解決を図るためには、物事には様々な捉え方があるのだということを、まずは知ることが何よりも重要なのです。

 


まとめ

 

それではまとめましょう。

 

換言的思考とは

物事を表す命題を換言することで、考えを進める方法!「つまり…」と言い換えることで、別の捉え方を試みて、問題解決のヒントにしたり、きっかけを作ったりしながら、考えを進めていく方法です。

 

換言的思考とパラダイムシフトの関係は

視点を変えて、物事を捉えるという意味では、両者に本質的な違いはありません。ただ、換言的思考は、シンプルな因果構造において求められるものですが、パラダイムシフトは複雑な因果構造において求められる傾向があるという違いはあります。

 

換言的思考やパラダイムシフトは重要

かなり重要です!問題をシンプルにして理解しやすくしたり、問題を解くきっかけ作りには欠かせません。論理的問題ばかりではなく、社会生活における日常的な問題の解決にとっても重要であると考えられます。常日頃から、物事には様々な捉え方があるのだということを意識した上で、考えるクセをつけましょう!

 

 

by    tetsu