女性専用車両について

日常の哲学

女性専用車両について

電車の座席に腰掛けていると、お婆さんが目の前に立って、私の顔を数秒間凝視してました。おさな子と年配の方々には寄ってこられ、話しかけられることが多いので、またその類かと思いましたが、今回は少しばかり様子が違ってました。

「ここ、女性専用車両ですよ。」

いやぁ~、久しぶりに「やっちまったなぁ」って感じですね。女性専用車両が導入されてから、かれこれ20年近く経ちますが、初めての失態です。スギ花粉との闘いと、慣れない鉄道会社の車両に乗ったという経緯があるとはいえ、お恥ずかしい限りで…。注意された女性もなかなか気を遣われたでしょう。最近は、ジェンダー的にもいろいろあるみたいですから、大変ですよね。

でも、この制度、なかなか問題含みだという話もチラホラと聞きます。もちろん、女性を心ない男性から守るためには必要な制度だと思います。でも、女性専用車両の位置がねぇ、と。

女性専用車両は某JR線の駅だと、階段付近の車両に設定されていることが多いのです。雨の日にはぬれることもなく、階段から歩いて移動することもない場所を女性専用にすること自体には、異論はありません。でも、駆け込み乗車とはいかないまでも、急いで駅階段を下りて(あるいは、上って)乗車する場合、乗り込んだ車両が女性専用車両で、周りからの視線に、何とも言えぬ恥ずかしさを味わうことになることがあるという話を耳にすることもしばしば。急ぐような時間にならぬよう、余裕を持って行動すればいいだけの話なんですけどね。まあ、一理あるかな。

(※注. 駆け込み乗車は危険ですので、おやめくださいね。)

 


制度として

ここで話が終わればいいのですが、それで大人しく終われないのが、哲学者の性(さが)でしょうか。人生初の恥ずかしさに、注意をしていただいた女性に謝りながら、慌てて車両を移動したのですが、よくよく落ち着いて考えてみると、移動する必要があったのかな?と。

というのも、注意された時、車両内はガラガラだったんです。もちろん、女性専用車両なわけですから、男性の私としては、移動しなければならないでしょう。制度である以上、少なくともマナー的には、守らなくてはなりませんからね。でも、制度が何のためにあるのかってことを考えた時、車両内に数人しか乗っていない車両から、数駅しか乗らない間に(これは完全に個人的事情ですが)、わざわざ移動しなければならない必然性があったのでしょうか?なんて考えてしまうわけです。

当然、移動する必要はあります。あくまで、理屈の話ですから、「わしゃ、女性専用車両に乗り続けるぞ!」と主張する気は毛頭もございません。中には、男性がいるだけで、不快な思いをされる方もいらっしゃるかもしれませんからね(尤も、そんな方は外出自体できませんが…世の中半分くらいは男性なもんで)。それでも、女性専用車両に男性がいるということが、不自然であるということも否めませんよね。

ただ、女性専用車両が設定されたのはなぜか?ってそもそも論を考えてしまうのです。それは、やはり、心ない男性による卑劣な痴漢行為があるからでしょう。冤罪防止という観点からも、女性専用車両があるのは喜ばしいことだと思われます。しかし、そうだとするなら、ガラガラの女性専用車両であれば、男性が乗っていても、差し支えないということになるのではないでしょうか?

繰り返しますが、女性専用車両に男性が乗るのは、避けなければなりません。マナーを守るということは、社会の秩序を守るためにも、合理的な考えだと思います。それでも、制度というものを考える場合、社会的に要請されたという内実がなければ、そのような制度は単なる形骸に過ぎず、ある種の非合理へと至ることも考えられるのではないでしょうか?これでは、社会の効用が損なわれかねないとも限りません。

制度は、ある種の必要に迫られて制定されなければ意味がありません。形骸化した制度によっては、社会的効用が失われるリスクさえあるのです。それでは本末転倒です。ただ、だからといって制度によって規定された社会的規範から逸脱することも間違ってはいます。

ですから、重要なのは、きちんとした制度作りが行われるということ。そのためには、何のための制度かを考え、きちんと理解し、一人一人が制度作りに真摯に向き合っていく姿勢を意識するということが求められるのだと思います。

by    tetsu