足を組むのはマナー違反?「誰にも迷惑をかけていない」というのは、自分の能力を過信している件について

おおらかさ

どうも、おおらか選手権西日本代表のtetsuです。何の話かわからない方は、次の記事をご覧ください。

おおらかな人に共通する3つの特徴とおおらかになるための考え方

先日、あまりめでたくもない誕生日を迎えまして、とは言え、それでもお祝いは嬉しいものです。何人かの方には本当に素敵なプレゼントを贈っていただきましたが、中には嬉し過ぎて失神してしまいそうなほど天才的な贈り物もありました。

(え?反語法?ボク、オリガ・モリソヴナなんてロシア人知らないよ?)

その贈り主の名はtama!

tama「tetsuさぁ~ん、お誕生日おめでとうございま~す。」

tetsu「おお!覚えててくれてんのか(✱°⌂°✱)!?純粋に嬉しいぞ(◍´ꇴ`◍)」

tama「やだなぁ、当然じゃないですか!かれこれ5年も実験台お世話になった人の生まれた日を忘れるわけありませんよ!」

tetsu「言うようになったなぁ。誕生日自体は何とも思わんが、その気持ちだけは嬉しいぞ(●´∀)ゞ」

tama「てわけで、はい。プレゼントです!」

tetsu「そんなに気を遣うな(m’□’m)まあでもありがとう(❁ᴗ͈ˬᴗ͈)◞…ん?何コレ??」

tama「キビダンゴです!」

tetsu「キビ…ダンゴ?」

tama「一昨日岡山に出張だったんですよ!」

tetsu「へ、へぇ~…。彼女とかにもお土産買ってあげたの(・ω・;)?」

tama「ええ、彼女と実家用にも同じキビダンゴを買ってあげました!お土産用にしちゃあ美味しいですもんねぇ~。」

tetsu(心の声)「それ、誕生日プレゼントやなくて、単なるお土産やないかーーい!!」

(※実話です)

誕生日プレゼントにキビダンゴて、わしゃ猿か犬か雉か!ってツッコみたくなりましたね。こいつ、いつかボクを家来にしたいんじゃないかなんて、tamaの邪な心を垣間見た気がしましたが、皆さんはボクのおおらかさの一端を垣間見た気がしたでしょ?まあ、こんなやり取りをしても、笑ってお礼を言うあたり、大人になったなぁとしみじみ感じます。でもね、こんなおおらかなボクでも我慢できないこともあるんです。そう、後期の安西先生よりも仏と言われたこのボクでも。

(※注. ここからはやや真面目な話になります。)

 


足を組むのはマナー違反?

迷惑行為について

普段あまり人にああしろこうしろと言わないボクですが(まあそれぞれ好きにすりゃいいんじゃないかと思ってますんで)、思わず注意してしまうことがあります。それが、他人の迷惑になる行為。

彼女や後輩や友達と出かける時に、ボクたちが複数でいることで、周りに迷惑をかけないように十分に気を付けます。エスカレーターで横並びになって、急いでいる人の通行の妨げになってないか?話し声や笑い声がうるさくて、不快な思いをさせていないか?ムダに広がって歩いて、通行の妨げになってないか?そういう行為をしている「いい大人」を見ていると、不快な気持ちになるので、せめて自分はそうはならないでおこうと、肝に命じてる次第です。他人の通行の邪魔になりそうなら、連れ合いをそっと避けさせるように誘導しますし、うるさく感じられそうなら、声量を落とすよう注意します。

周りの迷惑を考えないがさつな行為って、本当に見苦しいですからね。日本の恥の精神文化はどこにいったのでしょう…。まあ、日本人の崇高な精神文化がどこにいったのかはさて置き、そんな見苦しい行為の中で、ビミョーな問題なのが、電車の座席で足を組む行為です。

これ、隣に座ってたり、前に立っている時にされると、イラっとします。オブラートに包んで言うと「不快なので、別世界に飛んで行って欲しい」と思います。もちろん、のっぴきならぬ身体的な理由にてそのように振る舞われるのであれば、それは仕方ありません。ですが、そうでもなければ、法的に取り締まって欲しいと思えるくらいの行為です。

ですが、それは個人的な見解ですので、無理強いすることはできません。何かのアンケートで見た記憶があるのですが(曖昧ですみません)、「電車内で足を組むのはマナー違反か?」みたいな項目で、肯定派と否定派の割合がほぼ半々だったのが印象的でした。

その結果が統計学的に正しい手順を踏んで得られたものかどうかという疑問の余地はありますが、それでも「マナー違反についての人の考え方、捉え方は様々だ」ということの1つの傍証になりうるのではないでしょうか。

 

足を組むのはマナー違反

人によってマナー違反かどうかは様々だとしても、やはり個人的に我慢できないことの1つが足を組む行為です。自分の彼女、嫁、子供であれば、100%やめさせます(いないけどね)。友達や後輩だと…ビミョーですね。まあそれが人様の(ボクを含む)足や荷物について当たって汚したりした日にゃ、仏のtetsuも鬼と変わりて、身体的に強く注意することになるでしょうが。それでも反論する人はいます。実際、過去にこんなことがありました。

当時付き合ってた彼女とデートしてた時のことです。ある関西鉄道のローカル線に乗ってました。週末ということもあってか、車内はそれなりに乗客がいます。座席は全て、でもゆとりをもって埋まる程度。立っている乗客も散見されます。そんな中、座席に着くと、彼女が足を組みました。

当然、僕は注意します。「足下ろせ」と。基本的にそんなに人に指示する方ではありません。むしろ、かなりあまいです。基本的には受け入れます。怒ることもめったにありません(内心思うところはありますが)。そんな人間が注意するということの意味を、彼女もある程度はわかっていたのでしょう。付き合いだしてから、半年以上も経っていたので、僕がそういう行為にイラつく人間だという理解もあったみたいです。ですから、しぶしぶではあるものの、彼女は足を組むのをやめました。それでも、思うところはあったみたいで、「誰にも迷惑かけてないからいいじゃん」と拗ねるように言ってました。

なるほど、その時わかりました。ビミョーなラインでマナー違反をする人間の心理とは、こういうものなのだと(迷惑だとわかりきっているのに行為に及ぶアニマルの話は論外なので、ここではわざわざしません)。そして、「誰にも迷惑をかけていない」という事が、必ずしも己の行為を正当化する十分な理由とならないということを理解できていないのだと。

 


「誰にも迷惑をかけていない」というのは、自分の能力を過信しているに過ぎないということ

「誰にも迷惑をかけていない」という事が、必ずしも己の行為を正当化する十分な理由とならないと言いましたが、正確には、「誰にも迷惑をかけていないとは必ずしも断言できない」ということになるでしょう。

その理由の1つに、「どのような行為が迷惑となるか」といった事に関する絶対的な基準など存在しないということが挙げられます。別に悪気もなく、ただ立っているだけで誰かの邪魔になることだってありうるのです。そんな時でも、邪魔だと感じる人がいれば、それは十分迷惑な行為と言えます。要するに、ある行為を迷惑だと感じる人がいれば、その行為は迷惑行為と言いうるということです。

もう1つの理由に、人間の認識能力の限界ということが挙げられます。カントの「もの自体」とまではいかなくとも、人間が知ることのできる物事には限りがあります。それは「今まさにその行為が迷惑かどうか」という現在的な認識だけではなく、近い未来についての事柄にも当てはまります。もしも電車やバスが急ブレーキをかけたら?近くの乗客にどちらかが押されて、誰かに組んでいる足が当たったとしたら?そんなことが絶対に起こりえないと、どうして断言することができるでしょう?大切にしている衣服や鞄、靴などに、他人の汚れた靴底や足を当てられるというのは、決して気持ちのいいことではありません。「実弾は入ってるけど、安全装置がかかってるから大丈夫だよ」なんて言われても、銃口を突きつけられて不安にならない人など、ほとんどいないのではないでしょうか?万が一が起こりうるというリスクが、精神的に負荷をかけるのです。

今起こっていることや、これから起こりうることを全て知覚できるほど、人間は万能ではありません。にも関わらず、「誰にも迷惑をかけていない」と言うのは、己の認識、知覚能力を過信しているのであって、自己の行為に対する言い訳でしかありません。譬え、大丈夫と思っていても、それは足を組んでいる人が勝手に思っていることであって、組んだ足を向けられている人にとっては、ムダなリスクにしか過ぎないのです。

もちろん、誰もいないところでどのように振る舞うかは自由です。ガラガラの状態で足を組むなとまでは言いません。ですが、それとて、座席を汚してしまうかもしれないということが僅かでも起こりうるなら、あまり誉められたことではないでしょう。

これは何も、足を組む組まないに限った話ではありません。迷惑行為と呼ばれうる全ての行為に対して、気を付けることがマナーの向上に繋がるのです。そのためには、「誰にも迷惑をかけていない」と自己の能力を過信するのではなく、「誰かに迷惑をかけているかもしれない」という謙虚な姿勢でいることが、必要なのではないでしょうか?

これにより、世の中からたった1人でも、公共交通機関で足を組む人がいなくなってくれることを願って。もちろん、マナーに関する自戒の念も込めて。

by    tetsu